夢見るリアリスト

第5章
すべての国が私の恩師
―自分が見える、日本が見える―

非難さえしてもらえぬ日本人

 この秋、NYの日本協会主催でなかなか興味深いシンポジウムが催されるときいて、早速取材に飛んだ。

 テーマは、『日本人男性上司とアメリカ人キャリア・ウーマンとの軋轢』。現在、NYに進出している日本企業は約八五〇社に及び、こうした中、そこで働く米人女性社員が日本人上司からの扱われ方を“差別”として訴える例が増加している。関心の高さを反映して、九月十三日間かれたこのシンポジウムも当初五十名だった席数を急遽百三十名に増やすほどの盛況ぶりだった。

 日本企業と取引のある弁護士、日本企業の支社長など極めつけのエグゼグティブ・キャリアウーマンをパネラーとしてディスカッションは始まった。まず初めに各々数分ずつ、これまで自分が日本企業と関わってきた上での経験談を語る。一人済み、二人済み、三人目が喋り始めたところで、もう我慢できないといった様子のニーナ(今回のロケのコーディネーター)がつぶやいた。

「そんなわけない!」

 声の低さに反して、語気はひどく強い。カメラマンのエリック、音声担当のマイクも胸の内は同様と見えて私と視線があった途端肩をすくめ、唇をすぼめて見せた。

 そうだろうな、と私だって思う。なぜならこのパネリストの方々、口々に日本人と一緒に仕事をしていかに有意義で快適であったか、それだけを力説なさるのだ。それが事実ならそれはそれでハッピーなことだが、そうした話が稀だからこそ今回のようなシンポジウムが行われているのではないか。少々肩すかしを食ったという印象は否めない。

 ただ確かに、なぜ彼女達がそのように幸せなパートナーシップを日本人との間に実現できたのか拝聴してみる価値はある。耳をそばだてていると、その際最も頻繁に登場した言葉は、“patience”。即ち、“忍耐・我慢”。つまり、欧米人と同じ価値観や思考回路を持っていると思って日本人とつきあうことがそもそも誤りで、とにかく日本人の言動に対して腹にすえかねることがあったとしても、論理的な交渉など試みずに、ただ“忍”の一字で切り抜けなさいという教えらしい。

 いやぁ、実にその通り。私もそうやって日本人を見なければ、もっとこの世の中上手に渡って行けるのにと思わず感心してしまう。が、悲しいかな同国人の好誼でそこまで突き放して考えられない。女性だって一個の人格として男性同様尊重されるべきというくらいの普遍的価値観を持っている国と、わが日本国を信じたいのだ。ところが、彼女達はそんな幻想を早々に断ち切って、見事日本人とのビジネスに成功したのだ。たとえ自分が不当な扱いを受けたとしても、論議をもって改善の道をさぐるという習慣のない日本人が相手の場合、トラブルを顕在化させるのは単に感情的な溝を深めるだけで決して得策ではない。それより何より“patience”(我慢)というわけである。

 でもこれでは、ビジネスはできても損得抜きの友好関係というのは生まれにくい。短いながらも早朝から深夜まで寝食をともにしてロケにつきあってくれた今回のクルーの面々が、エグゼグティブ・ウーマンのかわりに日本人の女性差別の実態を次々と語ってくれた。

 お茶汲みに始まって、セクハラ、名刺をもらっても相手が女性だと自分の名刺を渡さない、接待に女性社員を同席させない、妊娠中の女性の出張を彼女の意志を聞かずにキャンセルするよう指示した等々、数え上げたらキリがない。

「でも、一番の問題は、そうした日本人の行う差別の対象が決して女性に限らないということなんだ」

 いつもおどけて皆を和ませてくれるエリックが、珍しく真顔で言う。今、NYでは日本人による黒人など少数民族への差別がやはり大きな社会問題になっているのだそうだ。人権意識がもとより稀薄な日本人、女性の扱い以上に人種問題に対する意識の低い日本人、何しろ法務大臣御自ら「黒が白を追い出す……」などと人前で口に出してしまう国なのだから無理もない。

 今後益々ボーダーレス化するこの国際社会で最低限の人権意識も身につけぬまま、しかもお金の力に物を言わせることができなくなった時、日本は一体どうやって生き残ってゆくつもりなのだろう。

 耳の痛いことを言ってもらえるシンポジウムを開けなかったのは、やはり私達日本人の度量の小ささゆえである。そして何より私が落胆したことには、今回のシンポジウムヘの日本人男性ビジネスマンの参加はゼロに等しかった。