夢見るリアリスト

第3章
男性、なんて素敵なパートナー
―女の課題は男の問題―

女だって真剣勝負―紳助さんの子育て論

 漫才師、と言うより最近は司会者としてすっかり引っ張りダコの島田紳助さん。

『サンデー・プロジェクト』でご一緒して、はや一年余。それにしてもこの人ほど頭の回転の早い男性を他に知らない。

 とにかく一を聞いて十を知るという言葉は、紳助さんの為にあるのではないかと思うくらい、中東問題でも政局でも日米摩擦でもチョッと要点を聞いただけで、問題の核心を即、さぐりあててしまう。

 加えて、滅法正義感が強い。浮気だの、不良少年だったのと悪役をチラつかせているが、実のところあれすらも、嘘で固めたイイ子ちゃんへの強烈な皮肉に他ならない。

 本当に正直で、正義感が強かったら、所謂“正義の味方”然と格好なんてつけていられないはずだ。だって元来、人間は罪深くて、矛盾に満ちたものなのだから。

 洞察力のとびきり秀れた紳助さんには、そんな真実に目をつぶり、きれい事や理想論で自分は何一つ苦労もせず泥もかぶらず平然としている輩が腹立たしくて仕様がない。だから隣で見ていて彼が最もムカついている時というのは、傲慢で見るからに汚いことをして私腹を肥やしていそうな与党大物政治家が国民を悔辱した時ではなく、独自の解決策や対案も示さずにただ与党案に対して反対を唱える続ける野党が、理想的な美辞麗句の繰り言をとうとうと並べたてている時である。

 そんな本音や真実を愛する紳助氏。当然子育てについても、世の中の因習に流されない。三十四歳の若さで既に三人のパパだが、お子さんたち全員女の子、上から小学五年生の万起ちゃん、四年生のゆかちゃん、そして三歳になりたての舞ちゃん。

 普通、口では「女の子もこれからは人間として自立できるように育てなければ」と誰しも言いはするが、その実どこかで「いや、やっぱりいざとなれば女の子は嫁に行けばいいのだからとか」、「女の幸せは男に頼り甘えるところにある」と思い、結局、手加減しながら女の子を育ててしまうことがほとんどではないだろうか。

 ところが、男だ女だと差別をしない紳助家では、女の子といえども特別扱いはしない。

 例えば、その一つとして長女と次女にボクシングを教えている。ボクシングと言ったって真似事とは違う。ちゃんと子供用のグローブをつけさせ、ワン・ツーとフットワークを踏む。全体重をかけたストレートが決まれば、少女のパンチで紳助さんの口元が切れたり、頭がボ!ッと白くなることもあるそうだ。ある日、娘二人の試合ぶりを家庭用ビデオに収めようということになった。

 レディー・ゴーで試合開始。ところがどうも長女の様子がおかしい。普段なら妹に手加減して守りに回っているのに、この日に限りボコボコとパンチを浴びせる。ほどなくして、次女はノックダウン。さすがの紳助さんも、

「おい、万起、なんで手加減してやらんのや。ゆかが可哀相やないか」

 と長女を責めたところ、万起ちゃん日く、

「だってジョー(紳助さんは子供に自分たちのことをこう呼ばせている)、VTR回ってる

ってことは、この試合一生残るんやでぇ。なら、一生懸命やらなぁ恥かしいやないの」

 この答えには紳助さんも思わず吹き出してしまったそうだが、死闘はまだまだ終わらなかった。一度はダウンした次女もカウント7で立ち上がり試合は続行。無我夢中のパンチを長女の顔面に決めて、結局両者の負傷成績は、長女が唇の裏側を切り、次女が目の周りに丸く青アザを作ってエンドとなった。

 勿論この後、紳助さんとお嬢さん二人は奥様からキツーイお叱りを受けたらしいが、それにしてもこれだけ真剣に女の子に対して闘いの意味を教えてくれる親がどれほどいるだろうか。考えてみれば人生は日々、小さな闘いの積み重ねだ。苦しくとも自分に甘えず、その一つ一つを精一杯闘い抜くことの大切さを身を持って知らしめることこそ真の教育なのかもしれない。

 いくら法的に男女平等が保証されたところで、当の女性たちの勝負への取り組み方が甘くては、いつまでたっても壁は突き崩せない。

 ともかく、今後の紳助ジュニアたちの成長に大いに期待したい。