夢見るリアリスト

第2章
キャスター、その不可思議魅力
―虚構と現実に引き裂かれながら―

因果な商売

 相手は自分のことを知っているのに、自分は相手のことを知らない。

 この状況が引き起こす悲喜劇は、ブラウン管に顔を晒す者にとっての宿命ともいえよう。

 まず、アクシデント多発地帯の一位は、電車の中。週一回は、赤面・冷汗を伴う体験を余儀なくされる。
 中でも極めつけは、去年の秋のこと。

 カラリと晴れ上がった土曜日の朝、私は新調した栗色のスーツに身を包み、軽い足どりで通勤電車に乗り込んだ。土曜・日曜の夜七時のニュースを担当する私にとって、このスーツが、今日のスタジオでの服装つまり衣装である。

 乗車駅から一駅過ぎ、二駅目を走り出した頃、

「NHKの、畑さんですよね」と、斜め後ろから小声で話しかける人がいる。驚いて振り

返ると、楚々としたOL風の美人。私と同じ齢くらいだが、見覚えはない。

「ハァ、そうですが……」 おずおずと答えると、畳みかけるように、

「そのスーツ、おろしたてですよね」

 と、念を押すような、確信に満ちた問いかけ。

(そうなんだけど、よくわかるなぁ。そんなに毎週、力を入れてテレビを見てもらってるのかしら)

 と、いぶかりつつも、きっと熱心なファンなんだわっと、ちょっとよそ行きの声で、

「ええ、おっしゃる通りなんですけど、でもよくおわかりになりましたね?」

 一瞬、言葉を飲みこんだ彼女、が、意を決したように、

「あの、スカートのしつけ、ついたままですよ」

 これ以上のことは、もう何も聞かないでいただきたい。

 でも気を取り直して、事実を振り返ってみるに、彼女のとった行動というのは、非常に勇気溢るるものであって、私としても多大な感謝を寄せずにはいられない。この場を拝借して、お礼の言葉を述べさせていただきたいくらいだ。

 ただ願わくば、しつけを注意して下さる前に、「NHKの畑さんですよね」という確認の一言を発せずにいて下されば、どんなにか有難かったかと思う次第である。

 さて、電車の次に顔色が青くなったり、赤くなったりする機会の多いのが、タクシーの中。しかもこちらは、昨今の激烈なFF戦争下においては笑い話では済まなくなる危険性だって十分あり得るから、抜けてる私も要注意だ。

 でも深夜、暗がりの路上で拾ったタクシーの運転手さんに私が誰かなんてわかるわけない、そうタカをくくっていると、やにわに、

「NHKのアナウンサーさんでしょう?」などと声をかけられ、酔いも眠気もフッ飛んで

しまうということは、決して少なくない。

 というのも、タクシーの運転手さんは小さな人影のわずかの動きも見逃さず、瞬間に認知するという特殊訓練を日夜積み重ねているわけだし、それに加えて声を通して主にお客さんを観察・判断しているから、ひどく耳の良い人が多い。メガネや服装で姿・形は誤魔化せても、人相ならぬ、声相で足がついてしまうことが多いのだそうだ。

 こんなふうに書いていると、自分が指名手配の犯人にでもなったようで、だんだん気が滅入ってくるが、先日乗りあわせた運転手さんの一言には勇気づけられた。

「ナーニ、お客さんのようにね、五分もしないうちに熟睡しちゃうような人には、隠し事ってないんだよね」

 甚だ色気のないオチで、どうも申し訳ございません。