夢見るリアリスト

第2章
キャスター、その不可思議魅力
―虚構と現実に引き裂かれながら―

アナウンサー冥利

 NHKに採用が決まるまで、自分がアナウンサーになろうとは夢にも思わなかった。

 いや、もっとはっきり言ってしまえば、アナウンサーになりたいと思ったことすら一度もなかった。

 インタビューを中心にしたヒューマン・ドキュメンタリーを作ることを夢見てディレクターを志望していた私は、民放各社の入社試験はどこも“制作スタッフ”の採用試験に応募した。ただNHKだけが職種の別なく一括試験、一括採用を実施していた為に、記者よりはいいかなくらいの気持ちで第二志望の欄に書いておいたのが“アナウンサー”。が、縁は異なもの。ひょんなことから画面に身をさらすこととあいなってしまった。

 とはいうものの、いま、記者・ディレクター・アナウンサーという職種間の垣根はどんどん低くなっている。つまり制作者側にも話し伝える能力が、そしてアナウンサー側にも企画・取材・編集という、番組を一から作り上げていく能力が求められる時代となっているのだ。そうでなければ、誰がこんな声や容姿の人間を本人が殊更希望もしていないのにアナウンサーになどするものですか……。

 で、確かに、実際様々なアナウンサー業務を担当すればするほどこの仕事、制作的なセンスと経験がなければ務まらないなあと感じさせられる。

 自分が現場に出かけ、取材し、すべて自分の言葉でリポートする番組は言うに及ばず、ちょっと目には台本通りつつがなく番組を進めているだけに見える司会進行役でも、番組のねらいや主旨を理解した上で自分なりに構成・演出を練り直さなくては、限られた時間の中でその番組にふさわしい雰囲気を醸し出しながら、必要十分な情報を伝えていくことはとても不可能だ。

 それを嫌というほど思い知らされたのが、まだ新人時代担当させてもらった金環食をテーマにした『NHK特集』だった。

 VTRとスタジオの持ち時間が半々、そのスタジオ部分を宇宙工学がご専門の先生とのかけあいで進行させてくれというのだが、先生は、勿論テレビに関しては素人。しかも一時間近くの生放送で、かつゴールデンタイム。もうこれで十二分に冒険なのだが、更に先生とのかけあい部分については項目と時間しかディレクター側から指示されない。つまりどんな話を、どのように、どれだけ先生に説明してもらうか、またそれを導き出す為に自分がどんなコメント・質問を加えるかは、すべて私まかせなのである。しかも内容は、あくまで専門家ではなく視聴者のレベルで、しかし当然表現は、端的かつ正確に。

 さて、これだけの重責を担わされての私の頼りと言えば、先生と資料コピーの山と、B4版の構成表二枚のみ。番組終了時まで、遂に台本というものは影さえ見せなかった。

 俵万智流に、あの時の追いつめられた気持ちを詩に詠めば、

“番組は任せたなんて構成表、二枚で言ってしまっていいの”

 でもプレッシャーが大きければ大きい番組ほど、やり遂げた後の達成感もまた一入。 一月、二月してこの時のディレクターさんに廊下で呼び止められた。

「あの番組、局長賞もらったんだ。今度、一緒に打ち上げやろうや」

 思わず、アナウンサー冥利なんて古風な言葉に、一人涙ぐんでしまった私でありました。