夢見るリアリスト

第1章
真実、伝えたいのはただそれだけ
―マスコミの中、自分を見つめて―

勧善懲悪調味料で誤魔化すなかれ

 人気時代劇『水戸黄門』ならずとも、マスコミ、特にテレビニュースには“勧善懲悪”という構図が欠かせない調味料だ。たとえ材料が少々取材不足でも、構成を煮詰める時間が足らなくとも、“味の素”宜しく振りかけさえすれば、どんな料理“ニュース”でも大抵口当たり良く、おいしくいただけてしまう。

 先日、何とはなしにテレビニュースに目をやっていたら、どこかで見たような校門の風景に出くわした。

 埼玉県立・K高校。以前、番組で女人禁制をテーマに取り上げた際、私自身が取材に訪れた男子校だ。共学の高校に比べ、さぞかし管理は厳しく、古風な物の考え方を教えこまれているだろうと思いきや、さにあらず。

 制服はないわ、発言は積極的かつ率直だわ、先生とのつきあいは友達同士のようにフランクだわと、その校風はアメリカの高校を彷彿とさせるほど自由そのもの。お蔭で、事前に取材を申し入れると断わられるのを危惧してアポイントなしで押しかけるという不躾をしたにも拘らず、生徒へのインタビューに加えて、校長ご自身のコメントまでその場でVTRに収めさせてもらうことができた。

 その高校が何故またニュースで取り上げられたのか。あの『日の丸掲揚・君が代斉唱義務化』をめぐってである。

 ドーンと引きのサイズから、例の校門に向かってカメラが寄ってゆくと、肩にたすきの在校生が新入生とおぼしき詰めえりの少年とその父兄にビラを渡している。

 立て看板に乱舞する“義務化反対”の文字。画面が室内に切り替わり、校長先生の登場。重い口調、沈痛な面持ち。実に単純かつ明快に描かれた、管理される側と管理する側の対立劇。

 案の上、このVTRを見終わったキャスターが、スタジオで言わずもがなのコメントを述べる。正義の味方キャスターが、悪者K高校側を糾弾するの図である。

 オイ、オイ、ちょっと待って下さいよ。そもそもあなた、どうしてこの高校でこんな反対行動が巻き起こったと思います? 日頃の管理の厳しさに、遂に生徒達の不満が今回の問題を契機として噴出したのだろうですって? 冗談じゃあない。

 学校側からのお達に物申したとしても、後々さほど不当な報復を受けないという教師生徒間の基本的な信頼関係が成り立っているからこそ、あれだけのデモンストレーションができたんじゃあありませんか。生徒達の主張を抑圧しない学校だからこそ、あなた方のテレビ局の取材にだって正々堂々と応じたわけでしょう。

 争議が起きた高校だから、何か問題を抱えた学校というその物言いは、余りにも短絡的に過ぎますよ。

 などと心の中でつぶやきながら、一人憤然とブラウン管とにらめっこしていた私なのだが、でも興奮が静まるにつれ、そう言えば私も同じようなことしてるのかもしれないなあと、憤りは反省へそして自己嫌悪へと、みるみる色を変えていった。

 表面化したトラブルの、その目に見える部分についてだけとやかく言うことなら誰でもできる。けれど、私達マスコミ人がすべきは、その氷山の一角を振り出しに取材をはじめ、水面下に隠された問題の本質は何なのか、背後に潜む本当の敵は何なのかを掘り下げ、人々の前に明らかにすることだ。

 ところが、悲しいかな実情は、火山の小噴火をいかに大袈裟に、センセーショナルに書き立てるか、その修辞法の研鑚ばかりに血道を上げ、地中深く潜行する大火山のマグマの動きを地道に探り続ける努力はなおざりにされがちだ。

 今回の“日の丸・君が代義務化”実施に際して、確かに各地での反対運動は盛り上がりを欠いていた。マスコミが期待する勧善懲悪的図式を満足させるような衝突は起きなかった。従って、マスコミの取り上げ方も小さかった。だが本当にこれでよいのだろうか。

 なぜこの時期、文部省側が義務化をこれほど急いだのか。それに対する世論がこれだけ盛り上がらないのはなぜか。

 これほど重大なことがさして問題にならないことが、一番深刻な問題だと、マスコミに身を置く一人として声を大にして言いたい。