夢見るリアリスト

第5章
すべての国が私の恩師
―自分が見える、日本が見える―

オランダ―古くて新しい師

 画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの生涯をドラマとリポートで構成してゆく特別番組。その取材で、かの巨匠を生んだ国・オランダを四回訪れ、首都アムステルダムを中心に合計三週間ほど滞在させてもらった。正直言って、最初当地に降り立った時と比べて、この王国ほど印象が変わっていった国も珍しい。

 特番終了後、レギュラーのTV番組に出演する為そそくさと帰国せざるを得なかった私が帰りの国際便の機内で最初に開いた新聞、その三面上段に、「オランダがCO2排出に課税」の記事が大きく掲げられていた。地球の温暖化を進める二酸化炭素(CO2) の排出を抑制する為、オランダ政府は世界に先駆け、CO2を出す量に応じて燃料に上乗せ課税する“CO2排出税”を導入したというもので、更にこの税収を、環境汚染対策、低公害技術の導入促進、大気保全基金へ拠出することなどを予定していると書かれている。

 この記事を目にした途端、私の脳裏には、オランダへ向かう機中、偶然隣に乗りあわせた紳士が話してくれた「オランダ人というのは、おしなべてWorld Improver(世界改良家)である」という言葉が鮮やかによみがえっていた。

 一見オランダ人かと見まごうロマンスグレイの長髪、長身のこの紳士、実はもうオランダに居を構えて二十年近くという、れっきとした日本人。但しオランダもしくはオランダ人に対するアイデンティティは、おそらく同国の人々に優るとも劣らぬ様子で、いかにもオランダ人らしく、正確・精密なデータを積み上げながら実証的にお国自慢(?)をして下さる。

 そしてその一言一言が、すべて先述の“オランダ人は世界改良家である”という命題の証明へとつながっていくのだ。

 例えば、GNPに比してのODA(政府開発援助)の割合、これがオランダは高い。外国人労働者の受け入れにも積極的で、彼らを幾らかの補償金とともに本国へ返そうという

 動きがあっても、すぐ人権団体からの強い反対でつぶされてしまう。

 テレビニュースは、トップからほとんど海外ネタが続き、自国のことについてはよほど大事件でない限り日本のローカル枠よりもむしろ扱いが小さい。と、いかにオランダ人が、世界的視野を持ちあわせた人道主義者であるかという実例を余すことなく列挙してゆく。

 そしてその締めくくりの言葉として、次のコメントを加えることを彼は忘れない。

 「でも、こんな小国の自分達がいくら頑張ったところで、世界はそう簡単には変わらないだろうに」変わらないだろうとわかっていても、正しいと信ずることは貫き、やはり実行する。あぁ、なんと高邁な精神ではないかと、ここにも彼のオランダ礼讃の思いが横溢している。

 まあ、そこまではのめり込めないにしても、私自身今回の取材を通して、オランダ人の寛容さ、おおらかさ、底抜けの人の好さにつくづく感心させられた。ところが、初めのうちはそれがわからない。ドアの“押”・“引”に至るまで、街中のあらゆる表示がオランダ語と並んで英語・仏語・独語で示されているのを目にしては、やはり貿易立国だから他国に気を使わざるをえないのだと、勝手に意地の悪い解釈をしてしまったり、自国をネーデルランドつまり「低い国」と呼んでしまえるその鷹揚さが理解できずに、きっと何か裏にあるに違いないと妙に勘繰ってしまったりした。

 自分達が慣れ親しんだ“ジョーシキ”というものから少しでも逸脱していると、頭から否定してかかり、ネガティブなバイヤスをかけた見方をする。そんな島国根性丸出しとも言える日本のマスコミの体質を、自分が被取材者側になって嫌と言うほど痛感し、それだけは避けようとしていたにも拘らず、どうやらいとも手易く同じ過ちを犯しかけていたようだ。

 国土面積から言えば九州よりも少し大きいだけというこの偉大な小国、江戸の昔から様々な西洋の文明を伝えられてきたわが国だが、オランダを手本とし学んでゆくべきことは世界的規模で物事を捉え、進めていかなければならない昨今、更に増えてゆくに違いあるまい。