夢見るリアリスト

第2章
キャスター、その不可思議魅力
―虚構と現実に引き裂かれながら―

キャスターは格闘技

“ニュース・キャスター”なぞと言う、大層にして曖味模糊この上ない肩書で呼ばれるようになって早五年。いまだにこの呼称に対し大いなる抵抗を感じる。

 理由は、もちろん本人の技量に比して肩書がご大層過ぎるということ。ニュース・キャスターなる業、その業務内容を見てみると次の三つに大きく分けられる。まずは全体をよどみなくとり仕切る司会進行役、正確に聞き易く報道原稿を読み上げるニュースリーダー、そして必要にして十分なコメントを適切に発言するコメンテーター。どれ一つを取っても、私如きは及第点に遥か及ばぬ発展途上人。従ってこの呼称で紹介されるたび穴があったら入りたい気分にかられる。

 ならは実際のニュース・キャスターが本当にそれほど大層な商売かというと、そうとも思わない。冒頭に曖味模糊と表現した通り、これほど実体が把めない職業もない。もっとはっきり言えば、胡散臭いことこの上ない。どこがそんなに胡散臭いかと言えば、本来は反射神経や集中力を何より要求される仕事でありながら、なんとなく知的作業のように誤解されているところではあるまいか。

 最近、キャスター業務は、“格闘技”なのだとつくづく思う。テレビカメラの前で、見えない何者かと必死にシャドーボクシングを繰り広げている。見えない相手は、もう一人の自分か、はたまた限りないプレッシャーか。ともかく、ちょっとでも気を抜いたらボコボコに打ち込まれる。そんなものすごい気の突風のようなものが、オン・エア中のカメラからは始終吹きつけている。それを跳ね返すだけのパワー、集中力がなければ、とりあえずこの商売はやっていられない。

 パンチを浴びると、じやあ具体的にどうなるか。トチる。それでひるんで腰が引けたら最後、そのまま完壁なまでに打ちのめされる。だから一発打たれたら必死でこらえ、即座にこちらから打ってゆく。迷いや恐れが意識下から目覚める前に、とにかく打って、気持ちを立て直せなければそこで負けだ。

 いいパンチを決めるには、フットワークも大切だ。いやむしろこちらの方がより重要かもしれない。定められた時間枠というリングの中、秒単位、時には0.x秒というタイミングを計りながら緩急自在に右へ左へと番組を捌いてゆく。他の出演者、視聴者との距離感を把握、計算しながら、相手からの攻撃を防ぐに最適で、しかもこちらから最もパンチを打ち込み易いポイントを求めて終始ステップを踏み続ける。アナウンサー出身のキャスターが記者出身のそれより秀れている場合、その主な要因は大概このフットワークの軽さにある。取材経験が豊富でコメントに厚みのある記者キャスターは、パンチ力はあっても足捌きに難のある場合が多いので、番組進行のみをサポートする女性アシスタントを脇に配して弱点を補う。反対にアナウンサーキャスターは、コメントというパンチの威力増強と方向修正を兼ねて、記者コメンテーターを擁して闘いに臨む。

 というわけで、真に知的で熟考型の人や専門的知識を抱えた人はキャスターに向かない。どうしたってパンチの切れやフットワークが鈍るからだ。

 絶妙のパンチが決まるゲームは見ていて確かに心地良い。だがだからと言ってそのコメントが打たれるべき者を正しく打っているかというと、さあどうだろう。打ったら大衆が拍手喝采し、しかも大した反撃を受けそうもない相手をピックアップして打っている場合がほとんどではないか。どうパンチを決めるかを考える前に、本当に打ちのめさなければいけない相手は誰なのか? それを見出す眼力こそ、真のキャスターに必須だと思うのだが、これが一番難しい。