勉強会 vol. 7(平成10年3月5日)

テーマ

21世紀型経済と日本の行方

講師

慶應大学教授 竹中平蔵 先生

 足元の日本経済がどうなのか、 さらに長期的な21世紀に向けて我々は何を目指していかなければいけないのか。 本日は、マクロ経済学の視点から、問題提起したいと思う。

「ザ・ファスト・イート・ザ・スロー」の時代

 最近、若手のアメリカ人のエコノミストが頻繁に、 <ファスト・イート・スロー>という表現を使っている。 つまり、「早い者が遅い者を食べてしまう時代なのだ」という言い方である。 以前は<ビッグ・イート・スモール(大が小を食べてしまう)>だった。しかし、 今や大小ではなく、いかに早く変化できるかが重要だという点を強調している。 この言葉は、非常に深い経済学的基礎を持っている。

 わかりやすい例として、Windows 95(マイクロソフト社のパソコン基本ソフト) が約98.5%というシェアを確立したということが挙げられる。 ほぼ100%という驚異的シェアを確立した重要な要因は、 先にマーケットに出たということであり、 その規格・仕様を世界に向けて公開したことである。規格をオープンにすると、 “Windows 95対応”と言われるアプリケーションソフトが、 世界中で無数につくられた。 ユーザーは別にWindows 95そのものを使うのではなく、 Windows 95を通して、その先にあるアプリケーションソフトを使うのである。

 今までとは少し異なった形での、いわゆる“ネットワークの経済性” が働くようになったのである。 だから、Windows 95よりも性能がよくて価格が安いものが後から市場に参入しても、 これには絶対対抗できないという、まさにデファクトスタンダードになってしまう。 従って、ネットワークを確立するためには“早く”なければならない。 これがファスト・イート・スローということである。 この言葉は、 <ウイナー・テイクス・オール>という言葉で言い換えることもできるだろう。 “勝者”が100%近いシェアを取ってしまうのである。

日本の“改革”とスピード

 早さという点では、我々は大きな反省をしなければならない。 行革は戦後何回かに分けて行われたが、 今の行革が本格化したのは1980年代の前半である。つまり第二臨調を受けて、 もう15年前から日本は行革をやっていることになる。 また、2001年までに包括的な金融市場の自由化をするという金融ビッグバンについて、 大蔵省は1985年の時点で「金融改革元年」という言葉を使った。 日本は、もう13年間金融改革をやっているのである。しかし、さまざまな要因から、 金融改革を改めてビッグバンという形で包括的に行わざるを得ないような状況になっている。 この遅さについて、我々は改めて認識しなければならない。

制度改革と意識改革

 去年の1月の最初の1週間に株価が2200円下がり、株価の15%が吹っ飛んだ。 株が売られ、円も売られたから、これを機に「日本売り」という言葉が定着した。 そこで、いわゆる“お茶の間の皆さん”を対象に「こういった問題に対して、 あなたはどのような危機意識を持っているか」と、アンケート調査を行った。 そうすると、8割の人が「これは日本経済の重大な危険信号である。 財政改革も金融改革も規制緩和も、もっと急いでくれ」と答えた。さらに私は、 ちょっとひねった質問を加えてみた。「今から5年後のあなた自身の暮らし向きは、 どのように変わっているか」という項目である。そうすると、9割の人が 「私自身の暮らし向きは変わっていないと思う」と答えた。 つまり、「日本経済は変わらなければいけない。 しかし、自分の生活や自分の仕事は変わらない」と9割の人が答えていることになる。

 残念だが、これは見事なほどの総論賛成・各論反対といえよう。 国民の大部分が「改革しなければいけない」、「経済は大変だ」と言いながらも、 どこかで現状に満足しているというのが、今の日本の社会の現実ではないか。

 ファスト・イート・スローの話と、このアンケート調査の話を頭の片隅に置 いていただいて、以下の話を聞いていただきたい。

日本経済は今でも3%近い潜在的な成長力がある

 97年度に、我々は9兆円の増税を行った。 まず、消費税を引き上げたことによって5兆円の増税。 そして特別減税、減税を廃止したことによって2兆円の増税。 これは復活されることになったが、年度を通しては、ほぼ増税となる。 国民の社会保険料等々の引上げがあったので、さらに2兆円。 合計9兆円の増税を行ったことになる。

 この政策に対して、今の与党を批判する声もある。 しかし、「増税する」と選挙の公約に掲げて選挙を行い、 それを国民の大部分は支持したわけだから、 ある意味で国民の選択であったということは間違いない。

 日本の経済というのは、500兆円規模の経済である。 500兆円規模の経済に9兆円の増税を行ったわけだから、 2%のデフレ圧力がかかるのは当たり前の話で、 そんなことはもう去年の4月にわかっていた。 3%近い成長力がある経済で2%のデフレ圧力が働くような政策を我々が選択したのだから、 97年度の成長率は、1%を切るぐらいになって当たり前だったわけである。

 ところが、日本の経済は予想よりさらに悪くなった。 3月に終わる97年度の予想成長率につき、 日本にある44のシンクタンクが経済予想を出しているが、その平均値はゼロである。 悪くなった程度は、予想された0.8とか1%弱から0になった。 したがって、「日本経済が悪くなった」ということも事実だが、 同時に「急に起こったわけではない」ということも一面での事実である。

 その要因について、 今の日本経済には3つの異なるタイプの問題が生じていると考えなければいけない。 なぜ分けるかというと、それによって政策の対応策が違うからである。

日本経済の3つの問題

 まず第一は、日本の経済が景気の下降局面にあるという短期的な問題。 「景気が悪いんだから当たり前じゃないか」と言われるかもしれないが、 景気というのは経済に内臓されたリズム、循環的な動きを言う。 だから悪くなればよくなり、よくなれば悪くなる。この循環的な動きは、 去年の前半をピークにして、現在は明らかに下降局面にある。

 第二の問題は、コンフィデンス・クライシスという中期的な問題。 信任の危機が起こっているということで、 不良債権問題に端を発した金融システムの揺らぎということである。 今回、厄介なのは、このコンフィデンス・クライシスが近隣のアジアの通貨危機や、 去年の11月に見られたような世界同時株安といった、 世界の連鎖を伴っている可能性があるということである。気がついてみると、 我々の経済というのは恐ろしいほど信用と信任に依存している。1万円札に対して、 「これがお金だ」と信用できるのは、日本銀行の信任があるからであり、 この信用がなくなれば、我々を支えている貨幣経済そのものが成り立たない。 その意味では、極めて深刻な問題である。

 第三の問題は、 日本経済の期待成長率が下がってしまった可能性があるという長期的な問題。 私はエコノミストの立場から、日本経済は3%近い成長ができるはずだ思う。そして、 今でも政府の経済改革では「3.5%の長期的な成長力がある」と言われているが、 皆さんは信用できないのではないかと思う。

 バブル以降、皆さんの会社は1%成長を前提にして設備投資計画を立て、 消費者は1%しか自分の所得が伸びないということを前提にして、 消費計画、住宅ローンを組んでいるのではないだろうか。 企業と個人が1%成長を前提に計画し、行動したら、経済は本当に1%成長になる。 これが期待成長率の低下の恐ろしいところである。

 三つ問題を挙げたが、あえて優先順位を付けるなら一番深刻なのは、 中期的問題のコンフィデンス・クライシスである。 逆に、この一番深刻な問題を適切に取り除くことができれば、 日本経済は、それだけでも随分と活力を取り戻せるはずだ。

 そして、第二番目に重要なのは、 長期的問題の期待成長力を回復するということである。 もちろん短期的問題の景気も重要だが、景気というのは循環的な動きであるので、 重要な点は「より長期の期待成長力をいかに高めるか」ということではないだろうか。

 さて、ここで注意しなければならない点は、 短期的問題の景気対策と長期的問題の期待成長率引き上げという問題は、 ときに矛盾を来すということである。 例えば、減税をすれば、 しないときに比べて短期的問題である景気は間違いなくよくなる。 しかし、その減税によって、もし財政赤字がそのまま拡大したら、 長期的問題である期待成長率を一層下げてしまう可能性がある。したがって、 景気の問題と期待成長率については、短期的問題がどの程度深刻かということと、 長期的問題をどの程度重視するかというバランス論で考えなければならない。

 さて、そこで最初のコンフィデンス・クライシスの問題を考えたいと思う。 政府与党は30兆円の公的資金の導入枠を検討した。公的資金30兆円の導入については、 皆さんはそれなりの複雑な思いがあるのではないか。

 30兆円のうちの17兆円については、預金者の預金を保護するための政策である。 これは絶対に急がなければならない政策で、 むしろこの対応が遅れたことによってコンフィデンス・クライシスが生じた。 もちろん、その前の金融機関の責任とか行政の責任といった問題は確かにあるが、 預金者の預金を保護しないと、 我々にとって非常に重要な決済システムが麻痺してしまう。 例えば、私がある銀行にお金を預けておくと、そこから毎月毎月、 住宅金融公庫のローンが引き落とされていくが、 その銀行が破産して預金が凍結されたら、住宅金融公庫は、 私を債務不履行で訴えるだろう。これが決済機能の麻痺である。 最近、よく金融システム安定化という言い方を耳にするが、 もっとはっきりと「決済システム安定化のためだ」と言うべきである。

 もし預金の取り付け騒ぎが起こったら、いい銀行まで潰れてしまって、 皆さんの企業の決済機能が完全に麻痺する。 だから預金者の預金は絶対に保護できるようなシステムにしておかなければならない。 アメリカでは、 1989年の整理信託基金の際に十数兆円の公的資金を預金者保護のために使った。 北欧の一部の国では、何とGDPの20%を超える資金をこのために使っている。 日本でいうと100兆円ぐらいのお金を使ったということになる。 これは本当に急いで対処すべきである。

 さて、残りの13兆円は金融機関の自己資本を増強することによって、 貸し渋りを抑えるために使うということになっている。 この政策は、1933年にアメリカでも行われた資本注入政策である。 しかし、その結果、金融機関が自助努力のある競争をしなくなったことにより、 後々より大きな問題を起こしてしまった。だからそれ以降、 アメリカは一部の例外を除いて資本注入政策をやめてしまった。 したがって、日本の金融は、65年前にアメリカ政府が行い、 その後やらなくなってしまった政策をやらざるを得ないほど追い込まれているのである。

 現在、どういった形で資本投入するか、 一律にするのか、悪いところだけに入れるのかという議論がなされている。 しかし、“お金の入れ方をどうするか”ということに関して、 私は政策分析者としてあまり興味がない。何が重要かというと、 5年後とか7年後に“いかにお金を引き上げるのか”という、 引き上げ方の方がはるかに重要だからである。 つまり、フリー・フェアー・グローバルな競争をしなければいけない時代に、 短期間ではあれ、日本の金融機関が社会主義化される可能性があるからである。

 また、こういった非常に強力なカンフル剤が打たれて、市場が一服しても、 市場は決して落ち着いたわけではない。その間に、 長期的問題の期待成長力を回復するための政策を強力に進めなければならない。 その意味では、 日本経済が本当の意味で健全さを取り戻す最後のチャンスであるといえよう。

日本経済への処方箋

 減税政策には、多くの方が賛成するだろう。私も減税には賛成だが、 減税と言っても、今までとは全く違った新しいタイプの減税を行っていただきたい。 連合が主張している減税も、野党6党が主張している減税も、 基本的には「落ち込んだ消費を刺激するために減税をすべき」と言う。 確かに需要刺激も重要だが、長期の期待成長力を回復するためには、 経済の供給サイドを刺激することの方がはるかに重要である。つまり、 消費を刺激するのではなく、「投資と労働を刺激するためのサプライサイド型、 供給型の減税を行う」というのが基本である。

 そのためには、 企業が設備投資をしやすくするために法人税の大幅な引き下げが必要になる。 日本の法人税の実効税率は、現在約50%である。これが新年度、3%程度下がるが、 それでもアメリカの41%、イギリスの33%に比べるとはるかに高い。 法人税率は、実効税率ベースで10%くらい下げるべきではないのか。

 加えて重要なのは所得税の減税であるが、所得税の減税で何が重要かというと、 最高所得税率を下げるという減税である。 これに対しては「金持ち優遇」という批判が出てくるだろうが、 世界の潮流から考えると、どうしてもやらなければならない。 今のように一所懸命働いて儲けた社会のフロントにいる人に対して、 65%の税金をかけるというのはいかがなものか。例えば、事業を興して1億円稼いでも、 65%を税金で持っていかれるのだから、3500万しか残らない。 3500万ぐらい稼ごうと思ったら、 サラリーマンになって大会社の重役になった方が余程リスクが少ない。 今のような税制では、ベンチャーが出てこないのは当たり前ではないか。

 逆に言うと、日本では所得税を1円も払っていない人が多すぎる。 日本では4割の人が所得税を払っていない。 日本は、所得が約3万ドル以下の人は所得税を払わなくていい国だが、 他の先進国では考えられないことだ。所得税というのは、 所得が低い人も低い人なりに払うべきものではないか。

 結局、税金を一銭も払わなくていいという既得権益が広がり過ぎて、 一部の一所懸命働いている人から非常に大きな所得税を取り立てる。 これは明らかにサプライサイドを弱体化させている。

 実はイギリスもアメリカも、1980年代、約10年ぐらい前に最高所得税率を下げて、 その結果、ベンチャーのような企業家精神を刺激する政策をとった。 日本は遅くなったが、今からそれを行うできである。

 サプライサイド減税でもう一つ重要なのは、GDS比で1%から2%の間、 5兆円から10兆円ぐらいの間の減税をとりあえず行って、 同時にそれと同じ額の政府の支出を5年かけて削減するという政策をとることである。 したがって、中期的には、財政政策は景気に対してプラスでもマイナスでもない。 しかし、減税が先行する分、その間は需要面でも景気刺激策が残る。重要な点は、 5年後に政府の支出が減っているということである。 「小さな政府が実現することによって、 市場経済の活力がもっと活かされるシステムができているはずだ」ということであるが、 これは政治的に大変難しい。アメリカでもレーガノミックスのとき、 減税を先行させたが、その後、支出を削減するまで15年かかった。 そういった政治的な非対照性、減税はすぐできるが、 支出削減はすぐできないという困難があるだろう。

 しかし、自民党は昨年、財政構造改革法を通した。 そういった法のフレームワークができたのを機会に、 思い切ってサプライサイド型の減税を行う。同時にそれと同額の支出削減を行って、 小さな政府を実現していく政策を、このカンフル剤が効いているうちに発表するのが、 日本経済を活性化させるための数少ない道ではないか。

日本経済を活性化させるための構造改革

 まず最初は、ビッグバンである。 「ビッグバン」という言葉は1986年に行われたイギリスの証券市場改革で使われた。 「日本では決して証券だけではなく、金融、保険、信託、証券等全分野の改革なので、 日本の方がはるかに野心的な計画である」という言う人もいる。しかし残念ながら、 これは“それだけ日本の金融改革が遅れている”ということを意味している。

 日本の金融改革を振り返ると、 1980年代の前半ぐらいまでは地道だが着実な金融改革をやろうとしていた。 70年代を通して、アメリカでは急速な金融改革が進んだので、 それがいずれ日本にやってくるということが、関係者には明らかだったからである。 したがって、80年代の前半には外為法も見直され、銀行法の見直しも議論されて、 非常に着実な金融改革を進めつつあった。そこで85年の時点で、 大蔵省は「金融改革元年」という言葉を使った。ところが、皮肉なことに、 金融改革元年を主張した途端に日本の金融改革は止まってしまった。 これはまさにバブルのいたずらで、 「日本の金融機関は力があるのだ」という錯覚を持ってしまったのである。

 1980年代半ば、日本は貿易の黒字を貯めていたので、 アメリカ等から内需拡大を迫られた。ところが、日本は当時も財政赤字だったので、 財政拡大できず、超金融緩和の状況をつくった。 だから資産インフレが生じ、バブルになったのである。

 しかし、当時の状況は、日本の金融機関、 銀行にとってはかなり恵まれた状況であったとも言える。なぜならば、 金利が安い段階で、つまり非常に安いコストで大量の円資金を集めることができた。 そして、安いコストで大量に集めた円資金を海外に持っていくと、 円の価値は一挙に3倍になり、日本の金融機関の存在感が高まった。 「ジャパン・マネー」という言葉も生まれた。

 しかし、バブルが崩壊してみると、 日本の金融システムの遅れが明らかになってきた。 「ビッグバンによって、東京をロンドン、 ニューヨークの市場に匹敵するような世界の三大水準に引き上げよう」 という議論があるが、この議論は間違っている。なぜならば、 バブルのときに東京の取り引き規模がニューヨーク、ロンドンと匹敵していたのは、 バブルの時期が異常だったからである。東京をもう一度三大市場にしようというのは、 ある意味で「バブルの夢よ、もう一度」と言っていることに等しい。 もちろん結果的に市場が活性化されて市場規模がある程度大きくなるというのは歓迎すべきことだが、 我々にとってビッグバンとは、決して市場の規模を大きくすることではないと思う。

 金融というのは様々な大きな役割を担っているが、あえてその中で我々にと って一番重要なポイントを挙げれば、次のようなことになる。

 我々の社会には既に1200兆円に達する個人の金融資産があり、イギリス、フランス、 ドイツの個人の金融資産の合計額を上回っている。 そして現在、これが我々の高齢化社会に備えて、 運用されてどんどん大きくなっていかなければならない時期である。 1200兆円の個人の金融資産をいかに効率的に運用できる市場をつくるのか、 資産運用の効率性を高めることがビッグバンによって我々が期待できる最大のポイントではないだろうか。 これは我々の老後に直接関わってくる問題である。

 皆さんは現在、極めて低い利回りで個人資産を運用していると思うが、仮に、 市場が活性化し、金融機関もリストラしてコスト削減し、 1200兆円の運用利回りが1%上がったらどうなるだろうか。 1200兆円の資産の利回りが1%上がったら、12兆円の利益が国民にもたらされる。 この12兆円という金額は、 我々がいま1年間に払っている消費税の総額を上回る金額である。 つまり、運用利回りがわずか1%上がれば、消費税分ぐらい出てくるということである。 2%上がれば、消費税率を10%に上げてもいい。もしも、消費税率が15%となれば、 我々の国は所得税と法人税をゼロにしてもやっていける。 資産の運用利回りを高めることの国民経済的な利益がいかに大きいかということが見てとれると思う。

 ただし、フリー・フェアー・グローバルなビッグバン、 金融の自由化をやらなければいけない時期に、一時的ではあれ、 政府の資本が銀行に入るような状況を実現せざるを得なくなってしまっている。 この短期的な問題をクリアして、なおかつ長期的視野を持ち、 いかにビッグバンを実現させるかというのが、 我々の将来の生活にとって非常に重要な問題となる。

 こういう問題を先延ばしにしていると、 結局、我々の経済の成長率が1%ぐらいになってしまう。 本来、3%の成長力があるものが、1%ぐらいしか成長していないということは、 2%の成長力をロスしているということになる。 2%のギャップを積み重ねると何が起こるか。 本来、我々は1.02倍の所得を得ることができたはずで、毎年毎年、1.02倍となる。 さて、1.02の32乗は約2になる。3%成長を続けた場合と1%成長を続けた場合、 32年後には、3%成長の場合に比べて1%成長では、所得水準が半分だということである。

 私たちの世代は、3%成長でも1%成長でもそんなに困らない。 いま1000万の所得を得てる人が、来年1030万か1010万かの違いである。 しかし、これを続けていくと、三十数年後、私たちの子供達の生活水準は、 本来あるべき水準の半分になる。したがって、改革を遅らせるというのは、 結局「私達は、そんなに被害を受けないが、 子供達の生活水準が著しくむしばまれる」ということになる。 我々の社会は、これまで15年間、改革を先延ばしすることによって、 子供たちの生活水準を先取りして食いつぶしてきたのである。 いま我々が直面している“改革”というのは、 実は次世代のことをどのぐらい思いやっているのかという問題になるのではないかと思う。

財政赤字と次世代が引き受ける借金

 先程から財政赤字が拡大すると長期の期待成長率が下がるという言い方をしたが、 財政赤字は一体なぜ悪いのか。実は、財政赤字が“悪”なのか、 “問題がある”のかということに関しては、 最先端の経済学の理論でもはっきりとした結論は出ていない。 これはそんなに簡単な問題ではない。

 よく議論されるのは、「赤字はよくない」「借金はよくない」という言い方である。 確かに日本の公的部門には、530兆円の借金がある。 生まれたばかりの赤ちゃんからお年寄りに至るまで、 1人当たり450万円ぐらいの借金だから、「大きい」というのは何となくわかる。 しかし、大きくて何が悪いのかという議論もできる。

 なぜならば、日本政府は国民から借金をしているからである。政府は負債、 債務を持っているが、それと同額の国債という資産を国民は持っているのである。 したがって、これは完全に1国の国民経済としてはキャンセル・アウトされる。 しかし、アメリカは財政赤字であり、国民にも十分な貯蓄がないので、 海外からファイナンスを受けている。 特にここ数年は、アジアの国々からファイナインスを受けた。 だからアメリカは、今のアジアの通貨危機にあれほど敏感なのだ。 あれほど躍起になって日本を非難するのも、 自分たちがアジアからファイナンスを受けているからである。

 ちょうど去年4月に橋本総理がデンバー・サミットからの帰りにニューヨークのコロンビア大学で講演した。 そのときに「日本の外貨準備をドルとは違う通貨で運用するという誘惑に駆られたことがないではない」という言い方をした。 その途端、ニューヨークの株式市場は史上二番目の下げを記録した。 海外からファイナンスを受けるということは、その意味では問題だが、 日本の場合は違う。

 日本の個人の貯蓄残高は1200兆円と言われているが、 これが仮に赤字だったらファイナンスが必要である。 高齢化になって貯蓄を取り崩した段階で、さらに財政赤字が多いまま残っていくと、 間違いなく金利が上がる、あるいは海外からの借り入れをしなければいけない、 そういう問題が生じるわけだが、日本はそういう状況ではないのである。

 残された問題は、世代間の不公平ということに帰する。 次世代に残す借金というのは、程度問題である。 だから、それがいいか悪いかてはなく、程度、数字で議論しなければ意味がない。 こういった問題を議論するために、アメリカでは1980年代の半ばから 「世代会計(ジェネレーショナル・アカウンティング)」 という概念が広く使われてきた。例えば、60代の平均的日本人の方が、 生涯を通じて税金や公的な年金の支払い等をいくらするかを計算する。 一方で政府部門から、公的なサービスをいくら受けるかということを計算する。 要するに、個人と公的部門での収支決算を出すのである。 同じことを10代の若者についても計算し、比較する。

 日本でも三つばかりの試算例が出てきたが、一例を簡単に要約すると、 日本人の平均的な所得を得ている60代の人は、1人当たり、 生涯を通じて払い込む税金よりも受け取る公的サービスの方が4000万円ぐらい大きくなってしまう。 日本人であるというだけで政府からマンション1個分もらっているようなものである。 10代の人は大体この逆になり、今の財政制度を前提にすれば、 生涯を通じて払い込む税金よりも受け取るサービスのほうが4000万円小さくなる。 プラス4000万とマイナス4000万、合計8000万円の差である。

 いまアメリカでアンケート調査を行って、 「政策の優先順位を何に求めるか」ということを訊くと、 去年ぐらいのアンケート調査だが、国民の7割が財政赤字の削減を第一に掲げる。 そうでないと自分たちの老後も子供の時代もないというような言い方をする。

 残念だが、同じようなアンケート調査を日本でして、 財政再建か景気対策かという質問をすると、6割以上は景気対策と答えるだろう。 財政再建を重視しろという人は2割しかいない。 もちろん、それだけ今の日本経済の足元が大変なことになっているという、 庶民の悲鳴の反映でもある。

 こういった問題もすぐに対処しなければならない。しかし、やるに当たっては、 その後、どういう制御するかという長期のビジョンを伴っていないと、 問題を先送りして傷口をますます広げていくことになりかねない。

 そういった意味でも行政改革は必要だが、 行革については一点だけ申し上げておきたいと思う。自民党は大変苦労して、 22ある中央省庁を13に縮小するという政策を行った。 しかしこれだけでは、単なる羊羹の輪切りではないか。 このままでは羊羹の全体の大きさは変わらないし、味も中身も変わらない。 日本は法治国家なので、 これから新しくできる省庁の設置法を制定しなければならない。 この設置法の書き方こそが行革だといえよう。 自由裁量からルール型への規定を折り込む、ないしは、 今までのような事前介入から事後チェックへ理念を体現していく。 私は、本当の意味での行革元年はこの設置法を書く今年だと思う。

 同じように、内閣機能の強化という非常に重要な点も打ち出されているので、 内閣法の改正が必要である。内閣法の改正をどうするかという点こそ、 今の与党の方々に頑張っていただきたい。

21世紀型経済のキャッチ・フレーズ

 まず第一に、<ファスト・イート・スロー>、 今までとは違う“早さ”が求められる経済になってる。

 第二は、これは金融のビッグバンが象徴だが、 <政府がギブアップする時代>になった。今までの政策は全部、手取り足取りして、 皆さんがソフトランディングできるようにやってくれた。 しかし、金融のビッグバンというのは、今までとは違ってルールと期限を決めて、 一定比率以下に自己資本が下がってしまうと金融機関に自動的に業務停止命令が出る。 これは裏を返せば、 従来とは全く違った“自助努力”が求められる時代になるということだと思う。

 ただし、自己責任は重要だが、 自己責任を果たせるようなインフラだけは作っておかなければならない。 どこの金融商品がいいか自分で判断するにしても、 判断できるような情報が公開されているか、 情報というインフラがあるかということが大切である。

 さらに、日本という社会は極めて大きな複雑な社会である。 世界の先進工業国の中で人口1億以上の国というは、アメリカと日本の二つしかない。 ヨーロッパの国々は、ドイツを除いて人口は半分以下である。それだけ複雑な社会で、 自己責任を果たすとどうなるだろうか。必ず自己責任と自己責任がぶつかり、 それを調整するのは、最後は司法しかないということになる。

 アメリカでは、毎年5万人が司法試験に合格して、裁判官や弁護士になっている。 そういう状況に対して、 今まで我々は「アメリカ社会は無駄な裁判ばかりしている」と批判してきた。 確かにアメリカの“5万人”は極端だが、日本の司法試験合格者は、 今度増えて“やっと1000人”であり、多分もっと極端である。 日本よりも経済規模の小さいイギリスやドイツでも、 毎年9000人から1万人ぐらいが司法試験に合格していく。 法律の体系が違うので、人口比だけから比べるつもりはないが、 日本の経済規模から考えて、司法試験合格者が一気に20倍になっても、 世界の基準から見て全く不思議はない。そういう意味では、 司法試験改革は今まで全く取り残されてきたという問題と言えるだろう。

 第三は、 実は<いまの問題をいま解決する社会>にならざるを得ないということである。 これは先程言った世代間の不公平、財政赤字の問題がその典型である。 いわゆる右肩上がり、経済がどんどん大きくなっていく時代は、 問題を先送りしても経済規模の拡大の中で吸収することができたが、 経済規模があまり大きくならない時代に問題を先送りすると、 将来が著しく不安になる。その不安が現在に跳ね返ってきて、現在の経済も悪くする。 だから我々は、いまのことをいま解決して、 先送りしないシステムを作っていかなければならない。 皆さんの企業の企業会計の中には、このエッセンスが既に現れていると思うが、 まさに“時価主義会計”である。時価主義会計というのは含み損も含み益も認めない、 裸にしてしまう会計だが、つまり、いまのことをいま解決しようというものである。

 21世紀型の経済を議論するときには、もっと多くの問題がある。 とりわけ我々の社会がよって立つところの教育の問題は、やはり避けて通れない。 これは橋本総理の6大改革の中に含まれているが、 21世紀のメインストリームにあるのは教育の改革だと思う。 ハーバード大学で私が教えていたときの基準を日本の一流大学、 東大、京大、一橋、早慶、どれに当てはめても、 日本の大学生の4分の3は間違いなく落第する。 日本では、大学生というのは勉強しなくてもいいと、社会が認知している。 しかしながら、“最高学府の学生が勉強しなくていい社会”というのは、 どこかおかしい。そんな大学文化が、いつまでも通用するはずはない。 高等教育を見直しすることによって、プロフェッショナル、 ソフトのインフラが生み出されるのである。そういった点も含めた社会改革は、 我々が直面している、ある意味で最大の問題ではないだろうか。

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