国際問題に関する調査会(平成12年11月15日)

質問テーマ

[経済・社会・文化分野における国連活動と専門機関の関係]「国連の今日的役割」について・参考人質疑

質問のポイント

 冷戦のゼロ・サムゲームが終結し、他国の利益は自国の損失という時代から他国の利益は自国の利益でもあり、また他国の損失は自国の損失でもある時代に移行した現在、国連が達成しようとする国際協力のあり方やアプローチの方法、また抱える諸問題にも様々な質的な変化が見られる。
 そうした中で、文明やイデオロギーが対立し、衝突した20世紀型の近代国家から、異文化・異文明が共生できる21世紀型の言わば「超」近代国家へと各国が脱皮することが望まれる世界状況に於いて、非欧米で最初にかつ自力で近代化を実現し、しかも完全な欧米化とは異なる独自の近代化をはかった日本が、国連活動を通して期待される役割は大きいと認識している。

  • このような日本の特殊性と普遍性(ex. 和をもって尊しと為すという日本的寛容、 環境や自然への敬愛の念、 とげとげした個人主義を嫌い家族的な連帯を重んじるネットワーク重視志向など) を活かして、 今後世界が国連を軸としてより開かれた多元的な国際システムを構築する上で、 わが国は具体的どのような貢献を果たすべきか、各参考人からご意見を頂戴したい。
  • 大芝参考人には、冷戦後国家の力が弱まるのに反比例して強大な威力を発揮し続ける市場経済の世界化に対応するため、通常の安保理同様に拘束力を持つ決定を行なえるような「経済安全保障理事会」を作るべきという意見についてお考えをお聞かせ願いたい。
  • 秋月参考人には、持続的開発に取り組んで行く上で、 より効果的な多国間の援助調整と資金および技術の流れを確保するため、 現在の世界銀行、国際開発協会(IDA)そして国連開発計画(UNDP)を統合し、 新たに「国連開発公社」を設立すべきという意見があるがこれについて御所見を伺いたい。
  • 岡島参考人には、‘71から本年までユネスコに勤務されたご経験の中から、 昨年末ユネスコ事務局長に就任された松浦晃一郎氏の活動を今後日本がどのようにバックアップしながらユネスコ活動に貢献すべきか伺いたい。
    この7月にパリで昼食をご一緒したが、 その際に欧米のマスメディアからも松浦事務局長の行財政改革の手腕に既に高い評価がなされ、 更なる期待がかかっている旨のお話を伺った。 冒頭に申したイコール欧米化ではない近代化を実現し、 更に未曾有のスピードで経済大国となった日本人として、 松浦事務局長が今後果たし得る役割と乗り越えるべき課題についてご所見を賜りたい。

参考人

  • 一橋大学法学部教授   大芝 亮 先生
  • 亜細亜大学助教授(元UNDP勤務)   秋月 弘子 先生
  • 同志社女子大学教授(元ユネスコ本部職員‘71~‘00) 岡島 貞一郎 先生

質疑要旨

畑 議員

 冷戦のゼロ・サムゲームが終結し、 他国の利益は自国の損失という時代から他国の利益は自国の利益でもあり、 また他国の損失は自国の損失でもある時代に移行した現在、各先生方から、 国連が達成しようとする国際協力のあり方やアプローチの方法、 また抱える諸問題にも様々な質的な変化が見られるという話を伺った。
 そうした中で、文明やイデオロギーが対立し、衝突した20世紀型の近代国家から、 異文化・異文明が共生できる21世紀型の言わば「超」近代国家へと各国が脱皮することが望まれる世界状況に於いて、 非欧米で最初にかつ自力で近代化を実現し、 しかも他のアジア・アフリカ諸国のような「イコール欧米化」ではなく独自の近代化をはかった日本が、 国連活動を通して期待される役割は大きいと認識している。
 まずはお三方からそれぞれに、このような日本の特殊性と普遍性(ex.和をもって尊しと為すという日本的寛容、環境や自然への敬愛の念、 とげとげした個人主義を嫌い家族的な連帯を重んじるネットワーク重視志向など) を活かして、今後の新しいパラダイムの中での国連でわが国は具体的どのような貢献を果たし得る可能性があるのか、また役割を果たせるのか。 先ほど大芝先生から「Governance without Government(ガバナンス・ウィズアウト・ガバメント)」という話があったが、 まさにそのような全世界に開かれた多元的な国際システムをこれから構築する上で、 日本がどういう形で貢献できる三先生それぞれに伺いたい。
 更に大芝参考人には、冷戦後、国家の力が相対的に弱まるのに反比例して強大な威力を発揮し続ける市場経済、 その世界化に対応するため、通常の安保理同様に拘束力を持った決定を行えるような 「経済安全保障理事会」を作るべきという意見についてお考えをお聞かせ願いたい。

 また秋月参考人には、先ほど、ただでも少ない予算が20近くの専門機関に振り分けられ、 しかもそれが重複して非常に非効率だという話を伺ったが、 こうしたことを是正するために、 より効果的な多国間の援助調整と資金および技術の流れを確保するため、 現在の世界銀行、国際開発協会(IDA)そして国連開発計画(UNDP)を統合し、 新たに「国連開発公社」を設立すべきという意見があるが、 これについて問題点も指摘いただきながら御所見を伺いたい。

 1971年から本年までユネスコで御活躍をなされ、 ユネスコにおける日本の顔として御活躍を頂いた岡島参考人には、 そこでの御経験の中から、 昨年末ユネスコ事務局長に就任された松浦晃一郎氏の活動を今後日本がどのようにバックアップしながらユネスコ活動に貢献すべきか伺いたい。
 私も2年半ほどパリに在住していたことがあり、 その時の在仏日本大使が松浦氏であったという御縁もあって、 今年の7月にパリで松浦事務局長とランチを御一緒させていただいた。 その際、松浦事務局長の行財政改革の手腕が欧米の各マスメディアから非常に高く評価されており、 更なる期待がかかっている旨のお話を伺ったのだが、 せっかくの松浦事務局長の御活躍の様子というのが日本では欧米ほど聞こえてこないようであり、それは非常に問題だと思う。
 日本初、アジア初の事務局長であるので、どういう形でこの状況を打開し、 サポートしたらいいかという点について、もし具体的な方策をお考えであれば伺いたい。
 ちょうど同じレストランにフランスのジョスパン首相がいたのだが、 何と向こうから席を立って松浦事務局長のところに挨拶に来られた。 それを見ただけでも、どれだけステータスが高い役職に就かれているかと私は驚愕した。 恐らく日本人というのは、ユネスコ自体のステータス、 さらにその事務局長のステータスや影響力について認識が極めて不足していると思うのだが、その点についてもあわせて御指導いただきたい。

大芝亮 参考人

 非常に難しい質問で、本来ならば今からゆっくり考えてみたいところだが、 今ここでちょっと思ったことを申し上げたいと思う。
 最初の、日本の近代化のこれまでの経緯はヨーロッパとは違い、 このことをどのように生かせるかという質問と私は理解したのだが、 この点はやはり日本にとっては一つの強みになるのだろうと思っている。
 一つ具体的に申し上げると、90年代半ばにアジア的な人権についていろいろな議論があったかと思うが、 そういった中で、いわゆる価値観自体が日本やアジアとヨーロッパとでは違う。 こういう議論には必ずしも日本はくみしなくてもいいのではないかとは思うが、 いわゆるエイジアンウエー的な話で、価値は共有するものの価値の実現方法ということについては、 日本はやはり欧米とは違った歴史を経てそれなりの苦労をしてきたところがあるかと思うので、 そういったところをアジアの他の国を代弁して、 もしくは代弁というのが傲慢であるとすれば、 他のアジアの国と一緒にアイデアを出していけばいいのではないかと思っている。
 そういう意味で、欧米とは確かに違うわけではあるが、同時に、 価値自体は日本はかなり欧米的でもあるかなとも思い、価値は共有するけれども、 その実現方法にバリエーションがあってもいいのではないかということを日本はもう少し声を大にしてもいいのではないかと思っている。
 ただ実際問題日本の国連外交を見ていると、例えば明石さんの場合、 カンボジアでの明石さんの行動というのは、 多分に価値の問題ではなく実現方法についてアジア的な方法があるのだということを随所におっしゃっていたかと思うが、 こういったところをもう少し日本の外交スタイルの中にももっと鮮明に出していってもいいのではないかと私は思っている。
 それから二番目の、経済社会に関する安全保障理事会、 もしくはこれに相応するものを設けてはどうかという点であるが、 これはおっしゃるとおり、これまでの国連の改革案にしばしばこういった案が出されてきたかと思う。 経済社会の安保理事会もしくは経済理事会、社会理事会などを設け、 こういった分野をもっと強化していくという案が出ているかと思う。 私自身も、経済社会の安全保障理事会、 もしくは経済社会問題を国連の中においてもっと比重を高めることは非常に重要であると思っている。
 ただ、先ほど制度化が大事である、組織化が大事であるという話があったが、 実際問題なかなかコンセンサスが難しい。 難しいから何も言わないというのは問題があるが、 それに向かって一歩ずつ進めていく必要があるのではないかと思う。そういう意味で、 経済社会安全保障理事会を実現するためのステップとしての私の個人的な意見は、 既存の国際経済組織の総会をもう少し有機的につなげることが必要、ということである。
 具体的に申し上げると、OECDの理事会、世界銀行、IMFの総会、 国連総会などをそれぞれ縦割り的に見るよりも、 一年間の国際社会での経済社会問題を議論する場としてもう少し横の連携を強化していけばいいのではないか。 そういう意味では、本来日本の外交当局の方は、5月にOECDがあり、 7月にサミット、9月に国連、それから世銀・IMF総会があるという形で、 実際に業務を担当している人は非常に横のつながりがあるかと思う。
 そういう意味で、この辺もう少し格上げをしていくということを提案してみてはよいのではないか。 そのことによって、国連における経済社会の安全保障理事会という構想にだんだんと抵抗がなくなってくるのではないかと思う。

秋月弘子 参考人

 第一の点に関しては、 21世紀型の国家像とそれに対する日本の貢献のあり方というような御質問だったかと思うが、 直接的なお答えになるかどうかわからないが、 常日ごろ私が個人的に漠然と思っていることを申し上げると、 いわゆるグローバリゼーションの進展によって、 国家主権という固い殻に囲まれていた国家の、その固い殻が破れ、 固い殻に囲まれていたボールがビリヤードのようにぶつかるような形であった外交が、 その殻がなくなってグローバリゼーションしたと言われている。 例えば多国籍企業であれば国家の利益というよりも多国籍企業の全体の利益を追求するという意味でグローバリゼーションということが説明されているかと思う。
 そういう意味からすると、国家の主権の壁が低くなった、 あるいは取り払われることによって、 主権制の相対的な役割の低下していることを考えると、 何が国で何が国益なのかということは定義がすごく難しくなってきていて、その結果、 本当にこれが国益であってこれが世界の利益なのだと区別することに本来意義があるのか、 というところが私の常日ごろ疑問に思いつつあることである。
 たとえ日本の国益というものがあったとしても、 それは全世界の繁栄の中で日本の繁栄があったという国際環境全体から見ると、 国際社会に貢献するか、それが日本の国益になるかどうかという観点よりも、 国益という観念は少し横に置いて、地球全体の「地球益」というようなことを考え、 それが増進することによって結果的に日本の利益も増進する、 日本国民の利益も増進するというふうに考えて積極的に貢献していった方がいいというのが単純な結論である。
 それともう一つ、21世紀に国家群がどうなるかというようなことを考えたとき、 私の専門は国際法なのだが、伝統的な国際法の理論を幾つもの点において見直さなくてはいけないと思う。 一つは内政不干渉の原則であるが、 例えば人権の問題はもはや国内事項であるという抗弁が効かなくなって、 各国が口を出すようになってきた。
 内政不干渉の問題というのは、 国内管轄事項がどういうものなのかということもあるが、 本来国内を管轄していた国家がその管轄する責任を果たし得ないで崩壊した国、 あるいは紛争で崩壊したような国とか人権侵害を行うような国が出てくると、 本当に国内に対して管轄権を行使する責任を有しているからこそ口を出させないのだ、 というような考え方が当てはまらないのではないか。内政不干渉の原則も含めて、 国際法の、例えば国境を変えてはいけないというようなルールもあるわけだが、 国境が人為的に引かれているがゆえに紛争があるのだとすれば、 国境を変えない原則というのも本当は見直さなくてはいけない時期がいずれ来ることを考えると、 いろいろな既存の理論なり原則を考え直さなければいけないなと思っている。
 そうすると将来的には、 国内的にきちっとガバナンスできない国に対しては国際社会が統治を支援するという形で入っていかなくてはいけない。 実際に幾つものところでPKOとの関連で暫定統治を行っているが、 そういう活動が今後も増えていき、 日本も軍事的な側面ではなくて貢献する可能性はかなりあるだろうと思っている。
 具体的には、文民警察の協力というのは、サミットなどでも言われているようだが、 人権の質の高さ、文民警察官の質というのを国際的に比べてみればいいのではないかと個人的には思っているので、 幾つも考えられる方策のうちの一つだが、PKOの中で人権の保護促進も含めた形で、 文民警察官というような分野で日本が大いに貢献する可能性はあるだろうと思っている。
 そのアプローチの仕方は、大芝先生がおっしゃられたように、 たどり着く目的は普遍的な人権のレベルかもしれないが、 そこに行き着く道筋は幾つもあるだろうから、 アジア的な方法を考えてもいいのではないかと個人的には思っている。
 それから二点目の、多国間援助の調整の問題、 国連開発公社というような構想については、 現実問題としてかなり難しい点があるのだろうと想像する。
 それは開発援助、経済社会協力というのはお金がつきまとう問題なので、 資金の使用目的と入ってくる資金の質が合っていないとバランスがとれない。 つまり、長期的に大規模な資金が必要だとするならば、 長期的にその資金を確保できるシステムを作らなくてはいけない。 逆に無償の技術協力は、 技術となってしまえば直接的に経済発展に短期間で結びつく問題ではないので、 自発的な拠出金という形であげてしまうお金、 極端な話だが一回きりであげてなくなっても構わないぐらいの、 そういう種類の収入の方法でやらざるを得ない。
 それに対して、長期間の大型のプロジェクトとなると、 それが利潤をあげて戻ってくる、循環するというような貸し付けなので、 入ってくる資金の性質と使われる目的とその還元の可能性のバランスを考えると、 世銀グループが行っている長期間の融資という活動と無償の技術協力というものを一つの機関で、 組織としては一つでもいいかもしれないが、 その収入源と支出の面をきちっと対応させていかないと、 最終的にはその組織が破産なり長期的な活動ができないという可能性もあると思う。 そういうことを考えると、 国連開発公社という構想は理想的ではあっても現実には難しい問題があるのではないかと思われる。
 ただ、一つ参考になることは、環境の分野で「地球環境ファシリティー」 というのがあり、世界銀行の資金を国連開発計画(UNDP)が管理して、 国際環境技術センター(UNEP)が技術を提供するという形で三者の間で協力を行っている。 そのプロジェクトの内容が、 例えば生物多様性の種族の保護のための活動に世銀のお金をUNDPが管理してエキスパートをUNEPが出すというような形の協力の仕方もあるので、 必ずしも世界銀行グループと国連グループとが全く分かれるというわけではなく、 そこの潤沢にある基金を国連が借りて運営していくというような形のやり方もあるだろうと思う。 同様のことは、先ほど二国間と多国間の援助の比率の御質問をいただいたきそのときに言い忘れたことだが、 国連は資金が少ないので二国間と協力することによってマルチ・バイの協力を進めていこうとしている。
 片や二国間の援助機関は資金が多いので逆に担当官が処理できない。 プロジェクトの開始から事後評価に至るまで、 規模の大きなプロジェクトをたくさん行っても一人の担当官が全部質の面でキープできないという現実があると聞いている。 一方、国連はやりたいことがいっぱいあるのだが資金がないので、 その両方が並行的にパラレルファイナンシングというような形で行っても構わないし、 信託基金ということで日本の名を冠した基金、 人間の安全保障基金のような形でも構わないので、 とにかくバイの資金とその管理運営能力を国際機構が持っているならば、 それをタイアップする形での協力が今進められているので、必ずしも世銀グループ、 国連あるいは多国間と二国間というような形で杓子定規に分けずに、 いろいろな協力のバリエーションで考えていけばいいのではないかなと思う。

岡島貞一郎 参考人

 国連で日本が果たす役割、日本の貢献という質問だが、 私は日本は日本の貢献を考え過ぎるといつも思っている。 日本の貢献を考えるよりも、今、日本がどのようにしたら国連、 国連組織から利益を得ることができるのか、 どのようにして国連を利用すべきかということを真剣になって考えた方がいいと思う。
 なぜならば、まず第一に、 貢献といってもやはり日本が利益を得ないところでは貢献しないのは当たり前であり、 もっと焦点をシャープに、日本がどのようにして国連、 国連組織を利用してやろうかということを真剣に考え、 国連、国連組織を自分の道具として使い切るべきである。
 利用する目的というのは日本のため、日本の国益のためであるが、 もう少し言えば日本を安泰な国にする、すなわち、 まず最初に日本周辺の地域総合安全保障をどうするか、教育、科学、文化、 コミュニケーション、衛生、食糧、エネルギー、全部含めてそれを国連、 国連組織を使って達成せしめるということ、これが利用する方法だと思う。
 例えば、先ほどユネスコは五つのプライオリティーを決めたと申し上げたが、 この五つとも二国間では恐らくほとんどできなかったことだと思う。 例えば、教育においては基礎教育の充実に関して、 日本がタイや中国に対して「あなたのところの基礎教育を充実してあげましょう」 と言っても、「ちょっと待ってくれ、これは二国間ではなくて内政干渉ではないか」 とも言われかねないような問題なのである。 水の安全保障にしても同様であり、科学技術の倫理の問題にしても、 インドに対して、「倫理観を持たなくてはいけない」と言っても、 「何でそんなことを言われなくてはいけないのだ」と反論されるだけの話であって、 ユネスコだからこそこういったプライオリティーが設立し得たのである。 これをどのようにして日本が利用するかということを考えなくてはいけないと思う。
 したがって、粗っぽい議論になるが、日本は世界に対する貢献を考えるの止め、 どのようにして国連、国連組織から利益を得るか、 そして地域総合安全保障確立のために国連、国連組織を利用するか。 その方策として、日本はリーダーシップをとらなくてはいけない。 とらなくてはいけないのだが、ユネスコの松浦事務局長が出てこられる前までは、 日本は世銀とか安保理とかリーダーシップをとりにくいところでリーダーシップをとろうと努力していた。 とりやすいところをなぜかとらない。とりにくいところで一生懸命頑張っている。 そうではなくて、国連の中でリーダーシップをとりやすいところからとっていく。 そして、国連、国連組織を日本のために利用するということが大切だと思う。
 それから、松浦氏の件に関してどのようにサポートしたらいいかという質問だか、 松浦氏はユネスコという専門機関のヘッドでおられるが、 ユネスコは、行財政がいいからユネスコがあるのではなく、プログラムがいい、 事業がいいからユネスコがある。存在理由はもちろん事業のみである。 事業が非常によくない、しかし帳簿は非常によい、 一銭一厘の間違いもないというのでは困るのであって、 事業が非常に活発で成功を収めるような事業でない限り、 行財政が幾ら良くても別に褒めることは何もないのである。
 我々が松浦氏にできることは、 どのようにしてプログラムを充実させるかということである。 文部省お墨つきのすばらしい有名な先生方も必要ではあるが、 二十代後半、三十代、四十代の若い科学者、 教育家が日本からどんどん出ていって活躍する。 プログラムの充実のために努力をする。それから、先ほどの話に返るが、 ユネスコのプログラムを使ってこの地域ではこんなことをしたという実績を残す。 それが松浦氏の業績になり、手柄になり、 松浦氏はさすがに名事務局長であるといった証明になるのである。
 したがって、彼のもとでいろいろプログラムが実行されているが、 我々はそれをどのようにして支援するか。お金も人も大切だが、 やはり知恵をもっと出して応援してあげなくてはいけない。 彼は一生懸命やったけれども、 プログラムとしては何も残っていないではないかということになってしまってはいけない。
 それからもう一つ、松浦さんというよりもユネスコのディレクタージェネラルのプレスティージということに関してだが、 私も畑議員と全く同意見で、我々がここから見ている限りでは、 「ユネスコの事務局長は大変立派なことをしておられる方だ」 ということで終わりがちであるが、そばで見ていると、 やはりユネスコの事務局長というのは大変なオーソリティーがあり、 ある意味では国連の事務総長よりもある。 国連の事務総長というのは非常にオーソリティーのある人だが、 プログラムは持っていない。したがって、安保理でいろいろ発言をし、 そしていろいろなことをしているが、結局は安保理の五カ国が力を持っている。 ユネスコの事務局長というのはプログラムを持ち、兵隊を持ち、 しかも教育、科学、文化、コミュニケーションという非常にクルーシャルな分野であるので、大変な力を持っているのである。
 私の見るところ、ユネスコの事務局長というのは、ローマのポープ(法王)、 米国の大統領、ロシアの首相など、全世界の誰にでも何処にでも電話一本で、 お金を払わずにいろいろなサービスを要求できるポストにいる、 世界で5、6人のうちの一人だと思う。
 しかし、そのことが日本ではまだよく知られていない。 ということは、恐らく教育、科学、文化に関する関心が他の国に比べるとまだ低いということではないのか。 やはり金融、財政、工業の方が優先され、 大会社の会長であるとか大銀行の頭取であるとかという話はわかるのだろうが、 ジャーナリストが悪いというわけではないが、 教育、科学、文化、コミュニケーションの分野における国民の需要がまだそれほどないのかもしれないと思っているわけである。