テレコム・ブレーンストーミング(平成9年7月3日)

参加者

原島 博 (東京大学教授)
A (外資系投資銀行社長)
野村 一 (第二電電(株)国際部)
牧野二郎 (弁護士)
村井 純 (慶應義塾大学環境情報学部教授)
伊藤穣一 ((株)デジタルガレージ代表取締役社長)
畑  恵 (参議院議員)

会の主旨を再び

 これからの日本社会を抜本的に変革していく上で最大の要素である「情報通信」分野に関して、その重要性の大きさに対する政治家の認識は全般的にあまりにも浅い。また「どのような社会を作っていくのか」というゴールを見極めた上での「ビジョン」がないまま情報通信行政が行われてしまっている。まずきちんとした「ビジョン」を立て、それを実行していくため、各省庁横断的で、官民一体となったタスクフォース(機動的組織)を早急に作り、機能させなければならない。その叩き台としての案をここで考えたい。それを、11月下旬に「緊急提言」という形で直接官邸に持ち込み、行革が一段落した後に総理から出される「21世紀ビジョン」の中に組み込んで発表していただくということで話を進めている。

前回の話の要旨(畑議員取りまとめ)

 まず、原島先生から、”21世紀に「人類が現在抱えている様々な課題を乗り越えていくためにマルチメディアをどのように活用するか」という視点で、この問題を考えていかなければならないのではないか。昨今、「何が出来るか」といった将来予測をすることが流行っているが、それは意味がない。具体的な問題に対して「マルチメディアをどのように使って行くか」とか、あるいは「こういう社会を自分たちでつくっていく」という考え方が必要だ”というお話があった。やはり、こういった視点がビジョンを打ち出す上での核になるだろうと思う。

A社長からは、アメリカの現状や政策を踏まえてのご報告をいただいた。”メガコンペティションの中で、政府レベルでのストラテジーを考えていかなければいけない。そのための視点は、NTTも国際進出したこの折りに、NCCも含めて「グローバル・ワン」や「コンサート」といった国際三大連合との合従連衡の中で、どのように日本の独自性を発揮して国益を守るかという「グローバル・ビジョン」が必要だろう”ということをご指摘頂いた。

 また野村さんからは、第二電電で「イリジウム計画」をご担当になっているというお立場から”衛星に関して明確な国際戦略が必要であること、また、国際標準を獲得していくという意味で、特にコンテンツについてはきちんと考えていかなければならない”というご指摘があった。

 全般的には、”ジャパン・システムは「横並び」「護送船団方式」「縦割り」という「ムラ社会型」から脱皮して、「規制緩和」を更に進めるなど「民間活力の導入」のための方策を具体的に考えなければならない。その中で、テクノロジーと資金、政策の3点、あるいは国民、企業、国家という3者、そうしたものの連関を構築し、せっかく1,200兆円以上にものぼる眠れる日本の資金を日本の高い技術力と連携させて運用していけるような政策が必要だ”という話をいただいた。

 そして主に牧野先生から”文化的な面では、日本文化の保護、またその世界への発信を進める一方、その際に生じる著作権の問題や、プライバシーの保護などにも整備を行うべき。なお、やはり教育の視点は非常に重要ではないか”というご指摘があった。

 全体的には、以上のような点を念頭に置きながら、そうしたことを実際に「実現させていくための組織づくり」に早急に取り組まなければならない。つまり、省庁横断的な「情報通信社会整備のためのタスクフォース」をつくりたい。既に内閣官房所管で活動している「高度情報通信社会推進本部」を発展させたものとして、民間のパワーも投入できる即応力のあるタスクフォースをつくらなければいけないのではないかというお話があった。

今回初参加の方の自己紹介を兼ねて

村井(慶応義塾大学)

 私は「インターネット・ソサエティ」というインターネット全般の構築、運用、発展を担当している国際機構の理事をやっている。インターネット・アーキテクチャー・ボードという標準化を決める組織も、この組織の傘下にある。この組織は、米国、ヨーロッパ、日本、オーストラリア等で昔つくったものだが、それが大きくなって他の国際組織との関係などで責任が拡大し、「インターネット・ソサエティー」の役割が変わってきた。

 この組織は、私が8年前に「真に国際的な組織としてインターネットを組み立てよう」としてはじまった。その時には、2つのテーマを持っていた。1つは、インターネットがどんどん拡大していくときに、それを助けられるような仕組みを持ってなければならないということ。2つ目は、いろいろな国際標準化との関係の中で「調整」ができるような組織にする。しかも、それを国際的にするということだった。つまり、この組織は、「標準化」と「拡大」という役割を持ってスタートした。

 しかし、最近、大きな曲がり角にきていると感じている。インターネットは順調に広がったので「拡大」という作業はなくなったが、代わりに「技術の標準化」を決めていく役割と、「インターネット・ガバナンス」という役目が非常に大きな柱になっている。例えば、WIPO(Worldwide Intellectual Property Organization)との関係でいえば、商標の問題をどうするかという点がある。すなわちインターネットの中のサイバー・スペースというデジタル・テクノロジーでできている世界がある一方に、実社会がある。この両者の関係をどうしていくかという話が出てきた。例えば、インターネットの中では、早い者勝ちで自分のドメインに識別可能な名前を付ける。つまり、ドメイン名はインターネットの世界の識別記号で、そのルールは早い者勝ちだからそれでいいだろうと考えられてきた。しかし、具体的に、社会で有名な屋号のドメイン名、たとえば、「ムライ株式会社」という有名な食品産業があるとして、誰か他の人がmuraiというドメイン名を取って、ポルノを販売していれば、ムライ株式会社は怒るだろう。このようなことはテクノロジーの問題ではない。

 このように、テクノロジーでつくられるサイバー・スペースと、実社会との結びつきが強くでてくると、インタ-ネットの中の情報を管理をしなければならないとか、子供たちには見せてはいけないとか、思想的な情報を流してはいけないとか、知的所有権とか、どのようにして止めたらいいだろうかという話が、出始める。グローバルな、国境の概念のない、インターネットが動いていくための最低限の仕組みと、他の国際的な組織との関係が大変大きな課題になっている。ところが、本当にグローバルなコンセンサスを完成している既存の国際組織はまだない。

 WIPOは、「人類の」知的所有権という問題を考えているにも関わらず、問題の行き先は「各国の」著作権保護法でしかない。このため、グローバルな世界では必ず矛盾が起き、自分たちの本来の仕事に挑戦をしている。人類全部が繋がっているグローバル空間を身近にしたのは、インターネットが初めてであり、他に同様の環境はないからだ。

 このようなことを考えながらインターネットを見ていると、国際的な視点で物を考えることは「グローバル」な新しい空間を考えるよりやさしいのだろう。初めから国境がないことを前提として法律をどうすればいいのかといったことを、考え直すのはむずかしい。

 21世紀を生きる次の世代の人たちのことを考えるとき、一番大きな課題は、本当にこのようなボ-ダ-レスのグローバル社会がやってくるということだ。いろいろな問題が起こってくる。法律問題もビジネスもアカデミズムも新しい技術も、その視点に立って考えなければならない。日本だけで通用する仕事は、今後あまり必要もマーケットもなくなるのではないか。

 しかし、そういう視点で考えている人間は育ってないし、そういう体制を国として作ってもいない。それが大きな心配の一つである。

 人類の歴史のなかで、たまたま1997年に、地球が初めて一個になって、そのことを考えられるタイミングが本当に訪れたという大変な節目に我々がいるのだという感じがする。

 そうすると、次は教育の問題である。最近ではマルチメディアだ、インターネットだ、真の国際的な視点だと日本でも騒がれているが、我々はそういう教育を受けていない。ところが、次の世代はそういう考え方で生きはじめる時期にきている。しかし、小学、中学、高校と見ると、コンピュータとインターネットをほとんど誰も知らない。これは世界でも最悪状態にある。きょうからでも、すぐに始めなければ駄目だ。ビジネスのすべての利益から10%の税金を取って、小・中・高校をインタ-ネットでつないだら、とくらいに考えている。

伊藤((株)デジタル・ガレ-ジ)

 僕はフィットハウスというマルチメディアの専門学校の校長をやっているが、これが面白い。落ちこぼれだが、ガッツのある連中が集まっている。コンピュータ・グラフィックスとコンピュータ・ゲームとネットワークだが、いまハッカーのチームをつくっている。一方、警察庁の「情報セキュリティ・ビジョン」という勉強会に出ている。向こうは、あまりしゃべってくれないが、現場の捜査のデータを生で出してくれるならという条件で参加している。リアリティーのある勉強会でなかなか面白い。基本的に、警察では「ポリシーはつくるな、皆が考えているポリシーの中でどう捜査すればいいのかという捜査官のマニュアルづくり」の勉強会にしようとしている。いかに現場がきちんとインプリメントするかという方向に持って行って楽しい。

 メインのテーマとちょっと逸れるが、いろいろな行政を横切るということでの例だが、アメリカにプレジデンツ・タスクフォースが2つ新しくできた。

 1つは、「インフラストラクチャ・プロテクション・タスクフォース(ITTF)」というもの。実は90%の軍事データは民間の配線を使っている。このインフラを守らなければならない。しかし、これは民間ではできない。行政もNSAは外だけ、CIAは外だけ、FBIは中だけとか、そういうものがあってできない。そこで、FBIとCIAとNSAから人を出し合って、タスクフォースをつくった。

 もう1つは、クリティカル・インフラストラクチャ・ワーキング・グループ(CIWG)というのが2つできて、その中で予算をもらって立ち上がり、1つはレッドチームといい、それぞれの機関から一番優秀なハッカーたちを集めて、アメリカ中のあらゆるインフラをハッカーしまくる。そして、穴を見つけて直していく。最初は、とにかくハッカーたちを押さえるためのものを民間に押し付けたが、途中で民間が気がついて、「いや、これは違う、これは安全保障の部分が多い。国際テロ対策にまで民間から金を出すのか」という話になってきた。ペンタゴンはハードウェアをもっと欲しい。NSAはくソフトウェアがもっと欲しい、CIAは人が欲しい、予算が欲しいというので、そこでどういうふうにセキュリティをするかということが議論されている。

 個人的に気になっているのは、警察や郵政で話している暗号政策は、日本の安全保障と国のセキュリティを一緒に考えなければならない。例えば、よく議論される秘密鍵を預けるというアイデアでは、秘密鍵を一箇所に預けると、アメリカがそのままパクって日本を完全に金魚鉢にしようというためのタスクフォースができている。この件に関して、一番の敵はアメリカだと思っている。

 ゴアの話の中でいい話はたくさんあるが、一番の曲者が「暗号」と「情報管理」に関することだと思う。OECDの会合にもいろいろ出ているが、何をしたいかというと、「自分たちが面倒を見るから、インターネットも含めて皆が見られるようにしておいてくれ。そうできなくとも、言われたとおりにしておいてくれ」。そうすれば必然的に向こうで見ることができるようになるというのが基本的な考え方です。

 ここでは、日本は折れてはいけない。だから、暗号政策はアジアとか日本が作っていく。また、WIPOのような組織は、すごく良いと思うのでアジアでもつくっていくべきだろう。アプリケーションの契約などでは、「○○○の法律に従って、どこそこで議論する」というような書き方をしているが、これを「○○○連合と△△△のルールに従って、このもめ事はネットワ-クで論議しましょう」という方向に持って行けば、国の法律ではなく業界別の連合体がインターネット的なところでセキュリティもかけることができる。

 このようなものをつくり自分たちで引っ張って行こうとしているアメリカは、ナショナル・セキュリティという側面でみている。

 通産省が多少かわいそうなのは、アメリカのプレッシャーを受ける懸案がたくさんあるなかで、日本として一番強く押し出していかなければならない「暗号」などの重要な案件が政治的な駆け引きに巻き込まれている。この部分では、政治家がある程度官僚を守ってあげなければならないと思う。

 ナショナルセキュリティなどに関係している技術をどんどん輸出すれば、アメリカは、政治家に「ゴアがこう言っている」と押し付けてくる。民間には、通産省に対して「このようなものを輸出したらこうなるよ」と脅しをかけながら、「暗号」のような重要なものを押さえていくという交渉の仕方をしているのではないか。

 このようなことから、日本では安全保障とセキュリティの部分では行政組織を横切ってタスクフォースをつくるべきだろう。そして、このタスクフォースはそんなに大きくする必要もないし、お金もそれほど必要ないだろう。

 アメリカからプレッシャーがかからないような形のチームをつくり、インターポールなど国際機関と連絡を取りながら現場のハッカーたちと行う。こういう点で現場の捜査官とはギャップがある。現場の捜査官はいろいろなデータを持っているので、勉強会というよりも、ハッカー一人で随分いろいろなことができる。

 サイバーテロのことが報道されているが、昨年だけで銀行が脅迫に対して払った金は600億円にものぼる。6つくらいのサイバーギャングに払っている。そのギャングの2つはロシアにいて、一回で20億円取る。払わないと殺すという。払っても捕まらないというケースがどんどん出ている。そういうものにどのように対策するかを、大きな行政の勉強会ではなくて横断的な小さなタスクチームで考える。身軽な対策チームが必要なのではないか。

 普通の場合は、何かが起こったらタスクフォースをつくるが、そうではなくて、いつも動いて、そういうことばっかり考えているタスクフォースが必要だと考える。

村井

 セキュリティに関連して、 JPCERT(Japan Computer Emergency Response Team Coordination Center)をつくったときに何が一番困難しかったかというと人がいないことだった。いるんだけど、非常に少ない。各省庁で一番コンピュータに詳しい人を揃えてチームをつくろうというと、各省庁のコンピュータシステムは動かなくなってしまう。どこの組織でもコンピュータを扱える人が少な過ぎる。専門のエンジニアも少な過ぎる。最初にやらなくてはいけないのは、コンピュータの専門家を育成することと、採用することだ。そして何より、すべての人がコンピュータを扱えるようになることが大切。

伊藤

 JPCERTについて警察に話すと、あれは通産省に取られてしまったと考えている。しかし、JPCERTに載っているバグは分かるし、農水省や郵政省のホームページにも入れたし、パスワードも全部取れた。警察の役割は、「とにかく、戸締まりをしましょう。ドアを開けっぱなしじゃ危ないよ」ということだ。 JPCERTからネットワークセキュリティ対策室にもリンクがあって、JPCERTのパッチを当てないところは駄目だ。きちんと鍵を締めろというところまでのインプリメンテーションがされてない。

 僕みたいな人がJPCERTを見て、そのバグをいろいろな企業に当ててみると、どんどん入れてしまう。いまはほとんど逆効果になっている。

 アドミニストレーターが、JPCERTを見てない。それを見ろという教育もされていない。現場の捜査官は、しょっちゅういろいろなプロバイダーのアドミニストレーターの苦情を聞いている。現在、JPCERTをきちんと見なさいというマニュアルを警察につくらせようとしているが、日本的な行政の壁があってなかなか進まない。あれは通産省に利権を取られたから我々がやるべきではないとか……。

 ただ、先程の村井先生の話にあった「人」ということでは、警察庁は人を持っている。行政や各県警には、企業から引き抜いて配置しているので、それなりに出来る人はいる。先日、警察庁でネットワーク・セキュリティの専門家に集まってもらったら150人ぐらいいた。そして、皆、よくわかっている。だから、僕がすこし専門的な話をしても、すぐ通じる。「ああ、そうだよね、郵政省のはボロボロだね」といった話までできちゃう。

 だから、彼らとパイプつくり、リンクを張ったり勉強会をやれば、大した金はかからないと思う。

 アメリカでコンピュータ・セキュリティ・アンド・プライバシーという会議があって何回か出ているが、すごく面白い。ハッカーやシークレットサービス、SKI、CIAなどが皆来ていた。夜バーに行ったら、ハッカーと彼を逮捕した刑事とFBIと一緒にビールを飲みながら情報交換をしている。

 いまのシークレスサービスのトップは、80年代の超ハッカーたちで、彼らが皆セキュリティ・クリアランスの内部に入っている。だから、ポリシーとかコストというよりも、ただの人間のネットワーキングでセキュリティレベルは上がるものだ。

 少し風邪でも引かないと体も強くならないように、子供をあまり大事にしてしまうと弱くなる。だからあまりオフィシャルにはやれないが、何かそういうハッカ-を集めて勉強会を早くやったほうがいいと思う。優秀な奴がどんどんハッキングしちゃうとか……。

 民間のセキュリティ・レベルもまだ駄目だ。銀行への脅迫なんて、必ず日本に来るだろう。


 霞ヶ関WANもつながったことだし、行政機関のコンピュータをデモンストレーションとしてハッキングして注意を喚起するという手段も、手荒だが効率的かもしれないが。

伊藤

 某省庁で、「これで、あなたたちのパスワードは全部見られている」というのを見せたら、直すのに4ヵ月かかった。その間にログファイルを見たら、アメリカのハッカーとかサイトの管理者がたくさんパスワード・ファイルを持っていっていた。だから、すでにどんな「トロイの木馬」が入っているかわからない。それが1回入ると、もうどうなるかわからない。日本人は、自分たちのセキュリティがどれほどボロボロだかわからない。

 絶対に日本には来る。あるハッカーの会合で、日本の伸び率とか、IPドメインとか、ECの計画とかをプレゼンしたら、ハッカーたちは「そろそろ、日本に行くか」みたいなことを言っていた。だから、そこの意識を高めてほしいと思う。

 警察にしろ、郵政省にしろ、内閣官房にしろ、彼らが一番言っていたのは「政治家たちがコンピュータを使っていない」から、いくら言っても、問題にならないのだ。


 自分もその点では最も深刻な問題だと日々痛感している。なんとか“使いこなす”まで行かなくとも、どういうものかということだけでもわかってもらいたいと、国会内や党内で数種類の勉強会を主催して、政治家の意識の啓発に努めてはいるつもりだが。ただ、道のりは実に険しい……

村井

 このあいだ、アジアの各国の情報化の会議がマレーシアであり。各国の情報化の状況を政府の担当の方が議論した。

 「私の国では、マレーシアのように政府の人やリーダーたちが動いてくれないが……」という質問が出た。専門家の答えは、「自分で使わせて、大事さをわからせるしか方法がない」ということだった。

 だから、日本でも強力なリーダーシップでやる。例えば、自民党の連絡は電子メールしか使わないくらいのことをやらなれば駄目だ。我々も大学ではそれをやっている。何かの連絡は電子メールでしか流さないと、「しかたがない」と言いながら、先生たちも渋々使う。

伊藤

 これが「なければ生きていけない」ということが分かり、次にそれが壊れると「セキュリティ」のことがよく分かる。

村井

 何が大事かということを、早くから子供たちに理解させる環境を作ることが大切。現代は常に新しい概念で物を考えなければならない側面を持っている。「私は学ぶのにちょっと時間がかかったが、次の世代の人には初めからわかっていてほしい。」そういう考えが、リーダーたちの中になければならない。


 まさしくそのとおり。ただ、そのためにはこのままでは無理なので、このような勉強会を開かざるを得なくなった。私のような一年生議員がこの勉強会を開かねばならないというのは、どのくらい危機か。ところが、私だけがいくら危機だと思っていても政府や政治家全体の組織は動かないので、とにかく皆さんの知識を結集した提言をまとめ日本のトップにまず直訴する。それでも効かないようだったら、出版なりなんなりといった形で世の中に明らかにして民意に訴えて行く、という覚悟でやっている。

 しかし省庁横断的なタスクフォースを本当に機能させることすら実施はかなり難しい。最も即効力のあるのは、やはり「外圧」と「目前にあらわれた目に見える危機」。そういう意味では「白アリをまいて、駆除薬を売る」というたとえ話のような方法も必要かも知れない。ただし、それを今やると、情報共有化の必要性すら認識されていないので「これは大変だ。こんな危険なものなら使うのは止めよう」という話になってしまう。

 いまの霞ケ関は、インフラはかなり進んできて「霞ケ関WAN」も今年初めに完成した。しかし、活用の現状となるとEメールのやり取り以外はほとんどないというのが正直なところだろう。

 Information Warについての勉強会を自民党内で開いたときにも、安全保障関係の重鎮が「捕虜にでもなって自白させられたらどうするんだ。一兵卒まで情報を全部知らせる必要がどこにあるか」といった発言をすると、皆「なるほど、たしかに情報の共有化やコンピュータネットワーク化は危険だな」ということでコンセンサスができてしまう。余りにも、基礎的な知識が足りないので、やぶ蛇になってしまう。

 日本で一番重要な情報が入り直接総理に上がっていくはずの、国の中枢機関である内閣情報調査室でさえ電話とFAXしかない。3年先にできる予定であった新官邸の建設が延期されたから、官邸や内閣官房がネットワーク化される目途さえ立っていないのが偽らざる日本の姿だ。

伊藤

 実は、KSIの私のスタッフがゴアのパソコンをセットアップしたのだが、彼は、自分から言った手前、勉強しなければいけなくなった。そこですごい勉強をして、最近のプレゼンテーションでは結構技術的な話もできるようになってきた。勉強のサポートは民間がしている。IPを無料で提供したり、パソコンメーカーなどが一生懸命ゴアを応援するような形になっている。コンピュータやパソコンのことをわかる政治家が出てくれば、民間は一体になってその人を一生懸命教育してサポートしていく。つまり、ゴアの後ろにはすごいブレインがいる。

原島

 アメリカは、ブッシュを諦め、代わりにクリントンを選んだ。しかし、ブッシュのままできても、アメリカやっぱり同じことをやっていたと思う。クリントンには、いろいろな違いはあるが、1つはシリコンバレーの利益代表みたいな形で立ち、双方の思惑がうまくいったということだ。


 クリントン、ゴアがシリコンバレーでメッセージを出し効を奏したが、日本であのようなことを考えていそうな政治家はいるのだろうか。

伊藤

 いない。アメリカの政治家にはエードが3人くらいいて、毎週電子メールを送っている。ちょっと面白い奴だなと思った人をすぐメーリングリストに入れて、日本にいる僕とでも連絡を取る。政治家の下に三人ぐらいそればっかりやっているエードがいる。彼らを使って、ものすごい情報を集め、何かポリシーを決めるときには連絡が来る。自分のホームページもあって、たくさんの情報を集めている。

原島

 日本とアメリカの大きな違いは、議員の名前が付いた法案があることだ。日本には滅多にない議員名の付いた法案が、アメリカでは当たり前だから、それを出すためにブレーンを加えなければならない。日本はそういう構造になっていない。

伊藤

 先日、内閣官房で10人くらいとセキュリティについて1時間話した。政治家の意識が変わるまで動けないという。ところが「日本では、基本的に重要なデータはコンピュータに入ってないんだよ」と。「どうしてですか」と言ったら、「だって、俺コンピュータを使ってない」。聞いてみると、一人も使っていない。使っていないなら、あまりセキュリティのことを考える必要はないんじゃないかと言って終わってしまった。


 卵が先か鶏が先かという問題でいつも終わっちゃうんですよ。

伊藤

 セキュリティ・システムを確立してから情報を載せるか、載せてないからセキュリティは要らないとか……。


 世の中を動かせるような政治力を持った人物に、いやだというなら今さらキーボードを打ってもらおうとは考えていない。ただ、政治家は、物事の本質とか予兆を感じ取る能力は鋭いので、その仕組みや可能性、重要性だけは、絶対に理解してもらわなければと思っている。

村井

 まずやらなければならないことはいっぱいある。具体的な作戦として、全部にコンピュータを使う方法があるということも……。ただ、一番危険だと思うのは、他のアジアの国が国全体を挙げて、あるいは政治全体が既にそういう力を知っているのに、日本の政治の人たちはこれが見えていない。

 マレーシアに行っても、タイに行っても、コンピュータを通して世界中を眺めて状況を把握している。こういう状況をみていると日本の現状ではまずい。だから、コンピュータを持たせ、自分自身ではやらなくても、自分のアシスタントはパソコンで情報を集めて渡してくれる。いままでなら無理だったものが、インターネットで間に合っているらしいということが、じわじわと分かってくることが大切だ。

伊藤

 だから、現場でそういう環境が出来ているということが必要なことだ。

 ナショナル・セキュリティの面で行政の責任があると思うのは、日本の政治家がアメリカの政治家と話すとき、「例えばコメはやるからセキュリティをこうしろ」と言ったときに、「はい分かりました」と、決まってしまう可能性がある。

 また、ブッシュは唯一ナショナル・セキュリティがよかった。クリントンは戦争にも行かなかった人間で、軍事とセキュリティを引っ張れてない。CIAの連中と話していたら、行政だけは仕切れていない。だから、クリントン、ゴアはネットワークについていろいろ言えるが暗号とかセキュリティに関することは言えない。だから、そこのパワー・バランスを知っていないと、ゴアの本をそのまま本当だと思ったら厳しい。そこを通産省とか内閣が調査して、レポートを政治家にあげるべきだと思うが、そこは多分行われていない。


 いまの段階だとレポートは上がらないし、レポートが上がったとしても、それを実行できる力を持った政治家にその意味を理解してもらうことは、きわめて難しい。セキュリティの問題では、例えば通産省では、ずっとアメリカの最先端の動きをウォッチしていたから電子商取引の問題で昨日のようにクリントンの声明が出れば、パッと動ける。しかし、そうした行政機関は少ないのではないかと思う。防衛庁の情報本部の方たちとも話しているが、どうもフットワークがまずいるというのが正直な印象だ。

 人を育てるとか、政治家の思考を根本から変えるといったことは理想的だし、やって行かねばならないことだが、それはいますぐには出来ないし、それが完了するまで待っていてはとても間に合わない。そういう場合、善意のハッキングしてわからせていくのか、それとも外圧をかけるのか、それとも、政治家と官僚と民間で個別にタスクフォースを組んで取り組めるところから取り組むのか、どういう方策があるのか……。

牧野

 日本というのは、いま「ムラ社会」だ。1つの村が集まっただけで、国家という組織や世界という概念が全くない。例えば、全部の小学校や中学校をつながこうという発想をしたときに、「個人情報保護条例があるから、うちはつながせない。つないだら公務員違反でお前をクビにする」ということが教育現場で行われている。結局、「ムラ」、つまり選挙区安全を保つのが政治家の唯一の生きる道……。だから、例えば世田谷区の学校にはインターネットを引かせない。

 こんなときに、一つの例としては、マハティールが非常に強力なリーダーシップをもって推し進めたように、ブレーンを持って強力に推し進めていくというようなスタンスが一つあると思う。日本も同じアジア的なムラ社会だとすれば、強力なリーダーと、それを支えるブレーンがいて、総理府が各省庁を監督するような強い権限を持たなければいけないという発想がある。それがいいかどうかは別にして、ある程度の強力な推進を支えなればいけないという視点があると思う。

 また、昨日のクリントンの声明は非常にショッキングだった。何であんなことができ、どういう発想から出てくるのか。彼らには「情報戦略」という基本的な発想があると思う。アメリカの情報なり文化で世界制覇をするんだという非常に強い考えがある。しかし、日本はそういう点で間抜けで、「安全保障については、全部アメリカにお願いしてアメリカの傘の下に入っているから安全なんだ」という発想が根本だ。

 日本の文化や伝統をどう守るのかという、言ってみれば政治家の琴線に触れるようなところも活用しながら文化政策、あるいは保護政策をつくる。コンテンツをどうつくるかを定義して推し進める。コンテンツが出来てないといういまの現実から言うと、そのコンテンツをどう進めるのかという意味からも……。強力な組織づくりの方針を立てるのと、文化政策の方針を立てるというためには、場合によっては議員立法をしてでもというくらい腹を据えて考える必要がある。そして、1つの衝撃を与えるということをしないと駄目だと思う。

原島

 やはり、具体的な問題をきちんと設定しないと、議論は空回りする。

伊藤

 安全保障というのは保護とは違う。だから、暗号をつくって配ればいい。日本を守るためには通貨を日本から出さないという考え方と、世界中をドルにしろという2つの国の守り方がある。これをインターネットに当てはめると、自分たちの文化を守るためには、それを世界中に流通させる。IBMは、「インターネットからグローバルになった」とよく言っているが、それは、それぞれの地域を自分たちで守るのではなくて、自分のものを世界中で使ってもらうことによって文化を守ることだ。

 だから、日本の政治家がいろいろな法案をいろいろなところに出して、「日本ではこうしているのだが、皆もこうすれば……」という提案をして日本を守るのが一番いい方法だ。つまり、アメリカの法律が日本に入らないようにするというのは間違いだ。だから、「どうぞ、アメリカ人も入っておいで。そのかわり、うちが一番いい暗号を輸出するよ」と、世界中で日本のものを使う。そうすると、日本の政治家もどんどん外国に行って、どんどん外国の政治家と付き合う。そして、日本主導の国際法案とかがどんどん出てくればすごく面白い。

 例えば、フランスの文化を守るには、世界中の人がフランス語を覚えるのであって、自分たちが英語をしゃべらないことではない。ボーダレスになったのだから、こうして守るしかしない。

原島

 そのとおりだと思う。しかし、もともと国というものの存在基盤は、基本的には国家権力であり、警察権力であり、あるいは軍事力、あるいはそれに相当するものという形できた。だから、いままで「国際化」というような言葉は、ここ数百年いろいろなところで出てきている。

 船の時代になって始まった植民地化は、ある意味で、その時代の国際化だった。大東亜共栄圏も、ある意味で国際化だ。

 いま「国際」といったときに、それは一体何を基盤として成り立っているのかを見極めないと、場合によっては、植民地時代、大東亜共栄圏と同じ構造を持った国際化になる可能性がある。いまのアメリカの戦略は、非常にはっきりしている。いままでは、空を支配した国が世界を制覇したが、宇宙にどんどん行った。しかし、これからは宇宙や核の傘ではなくて、「情報の傘だ」といって、情報の傘で世界を、あるいは世界の平和を守るという言い方をする。今という時代は、恐らく22世紀、23世紀の歴史から見れば、そういう位置づけをするだろう。


 アメリカだけではなくて、マハティールなどアジアからの追い上げも急ピッチで進んでいる。これは大変だ。日本も何とかしなきゃと、一政治家としてどうしても焦りは禁じがたい。しかしそれでは、情報通信を推進する目的は、追い付け追い越せ以上でも以下でもなく、大東亜共栄圏の発想と本質的には大差なくなってしまうのではと気づいて恐ろしくなる。

 例えば特許では、日本は特許出願数は多い。しかし、そのうちの多くは国内向けで世界に対して出願して行く方はずっと少ない。ところが、米国は国内よりも外に出して行くものが多いという。

 発想の転換を絶対しなければならないのはここでも同じ。国際標準を取っていくのもそうだ。暗号技術の問題も、衛星の場合と同様、武器輸出三原則に加え「スーパー301条」などで縛られて来るだろう。国益のために、産業振興と規制の問題をどうバランスを取って行くべきか。政治家が力を発揮しないとやはり拮抗したままで道を誤りかねない。

 安全保障上、特殊な立場にいる日本は覇権は握れないにしても、ただ、要所要所だけは絶対に押さえておかなきゃならない。つまり日本のこれがなかったら世界の情報通信機器は動かないという技術を開発して、それを切り札にしていかなかったら我が国は完全に他国の属国となってしまう。そのためにも、日本国内のみを範囲として発想をすることは危険だし、それではサバイバルしてゆけないと思う。

 暗号化の話は絶対に日本でつくらなければと思うが……。

原島

 「インターナショナルか、グローバルか」というのは、最初はグローバルだったと思う。それを、インターナショナルに持って行ったところに人類の知恵があった。それを、もう一度グローバルにしようとしている。こういうのが私自身の位置づけだ。

伊藤

 村井先生のような発言ができる人がWIPOなどに出ていることが一番日本のためになっている。OECDの会合などでも、自分の肩書きのために発言できない。通産省の人の中でも、いろいろなことをやりたい人たちがたくさんいるのに、上から「待って」と言われている人たちがたくさんいる。これが、日本にブレーキをかけてしまっている。

 暗号の輸出に関しても、輸出してはいけない理由はない。軍事ではない暗号はたくさんある。アメリカではものすごいニーズがある。発注は来ているが輸出できていない。いろいろな人たちが通産省に輸出させるなと圧力をかけていて、とりあえず考えさせようと言っているうちに、ネザーランドからどんどん出て行ってしまった。

 日本は半導体が結構強いが、銀行のシステムなどにはハードウェアの暗号がないと使えない。いまウェルスファーゴなどが大量に発注している。日本が一番強いはずなのに、皆、戸惑ってしまっている。これは、コマーシャル以外使い方がないというチップがあるのに、いま規制されてしまっている。

村井

 ただ、アメリカも相当やられていた。7月1日にクリントンがインコマースの提言を出していた。最後のフィードバックという形でその内容レビューをマレーシアでしていた。そのときに暗号の話が出て、アメリカ政府が「変える」と言っていた。

伊藤

 だいぶ変えて、ベンツスケーツも輸出がOKになったりしている。

村井

 私がIABの委員だったときも、CIAと商務省の要求は大きかった。


 暗号について、日本の企業はどういう戦略を持っているのか?

伊藤

 企業は皆持っている。しかし、マーケットは日本にない。アメリカだ。企業は日本からアメリカに輸出したがっている。暗号を日本からアメリカに輸出するのは法律的にはあまり問題がない。ただ戦略が決まってないので止まっている。

 しかし、通産省に輸出しないでくれと言われても、それを止める権限はないはずだから、勝手に輸出して、怒られたら「どうして怒られているの?」と言ってもいいのか。


 ただ、日本の企業も、後で行政からお目玉を食らったときに「一体誰が責任取るのか」という話になった時、「俺が腹をくくるよ」というトップがいないから皆で様子を伺って三すくみになってしまう。

伊藤

 結局、暗号を持っている企業も行政ぐらい大きい企業ばかりだ。

村井

 僕は、すべての話し合いにはちょっと懐疑的なところがある。というのは、例えば、JPCERTをやっているから通産省は十分なことをやっているということはないし、電子商取引に関してこれだけの手を打っているからと……。

 こういう手を打ったら充分ということはない。結果としてそれが実現しなければ、起こるべきことが起こらなければ、そして、それを皆が理解しなければ駄目なのでしょう。ねらっていたとおりに動かなければ評価できない。

 となると、本当に重要なことは何か。それは、行政がどう動くかではなくて、日本の国がどうなるか、国民がどうなるかということだ。要するに、日本政府が好むと好まざるとにかかわらず、日本国民は皆インターネットを使っている。そこでセキュリティの問題があり、これはもう避けて通れない。

 「いや、JPCERTはやっているから……」と。しかし、これはエクスキューズにはならない。正しく機能していなければいけないし、それが理解されなくてはならない。そのためには、JPCERTの結果が、国民をきちんと守れる仕組みがあるかどうかまで考えないといけない。情報社会の実現のために打つ手は、結果までが分かりやすくないと駄目だ。つまり、「行政の中にこれが出来ました。行政はこれをやります」というのではなくて、「あなたの家はこうなります、日本での商取引はこうなります」ということでないといけない。そのために必要なことは、何かやろうとしたら、通産省の出来ることも、郵政省の出来ることも、警察の出来ることもある。それを、皆でやるしかない。

伊藤

 ペルー事件のときにおもしろかったのは、あんな事件に対するプロジェクトがなかったから急遽できたチームは久しぶりにカッコいい政府の対応だった。前もってこのようなことを考え、プロジェクトを作っていたら、「もう、やっている」とあんな風にはならなかったと思う。

 例えば、阪神大震災のときは、「いや、もう手は打ってありますから、日本で地震が起きても大丈夫です」と言っていたが、全然大丈夫ではなかった。

 だから、何か動いているものに対して皆がサポートしているのと、「きっとこうなるだろう」と何かを作るともう安心するというのがいままでのやり方だった。

 だから、いかに具体的に動くプロジェクトをつくるかだ。だから、行政のよくやる実験から始めるのではなくて、実際に作っていく。そして、スクラップ・アンド・ビルド的にチームを組んでいくと目的意識がでる。しかし、日本では、教育も含めて、これは必要になるから覚えておけという方法で動いているような気がする。


 だから、ごく近い将来、世界はほぼこうなっているだろうから、それに対して日本は、とりあえず今、これとこれとだけはやっておかなければならないという形を提示しておかなければならない。

原島

 それが分からないというより、見えている人と全然見えていない人がいる。


 そこで見えている人が、見えない人に、なるだけわかり易くこれとこれだけは、こういう理由で絶対やっておかなきゃダメだよ、という提言を、ここでまとめたいと思っている。

牧野

 見えているのを、見えてない人にどう見せるかじゃなくて、1つの具体的なテーマを示す。それが間違ったら修正をかける。また間違ったら修正をかける。もとに戻るかもしれないけれども、皆の知恵を使いますという感じのものを。その起爆力に、この会がなれればいいと思っている。

 例えば、日本の全小学校、中学校に、2000年までにインターネットを敷く。そして、各小学校に全部ホームページを持たせる。そして、メールでのやり取りをする。共同研究を発表する。そして、「2001年の正月には全国でつなぎます……」というような具体的なことを言う。いろいろな人たちに集まってもらって、さらにいろいろなプロジェクト・チームをつくっていって、これで進めて行く。


 ただ、日本が大統領制に変わって強力なリーダーシップを取れる体制であったり、そういう人物がいるのならいいが、そうではないのが現実だ。そういう状況の中で、なおかつどうしたら、さしせまる危機から、日本を救えるか。その具体的な知恵を出しあって、警鐘を鳴らすべきではないだろうか。

牧野

 セキュリティの問題は絶対必要なことはわかっているが、まだ「北風」じゃなくて「太陽」の方だ(楽観的な考え方で行く方が良い)と思う。

 昨日のクリントンの発表で衝撃を受けたのは、「無税にするから、どんどん事業を進めましょう」という。脇にIBMの社長が付き添っていて業界も挙げて進めると意思表示する。これで米国民の収入や生活や産業が守られるというナショナリズムをくすぐるものを打ち出している。

そのときには、まずビジョンとか夢を前面に打ち出す。その次に規制の問題や、暗号の問題がある。こういうようなスタンスになっている。

 日本の場合は、いつも「こうなったらどうする」という後ろ向きの話ばかりのような気がする。そこで「このようにしませんか」、「小学校にインターネットを敷きましょう」と言う。すると必ず出て来るのが「子供の情報が流れたらどうしよう」とか、「ストーカーが危ないですよ」と言うと、皆インターネットから身を引く。要するに、子供をどのように国際化するかという話から引いてしまう。

 脅しをかけて、セキュリティ、セキュリティというともっと萎縮する。


 おっしゃることはごもっともだが、それでもセキュリティに関しては、エレクトロニック・コマースも本格的に始動する日も近く、きちんと施策を準備しておく必要がある。

伊藤

 セキュリティというが、通産も、郵政も、コンピュータにはあまり重要なものは入れていないと思う。だから、ハッカーをあまり意識してない。

野村

 三菱商事でも、例えば、地域経営計画などはインターネットに入れて、誰でも覗けるようにしておいた方がいいと言う意見がある一方、破られる可能性があるから、一部の人しか見られないようにというネガティブな議論が出てくる。

ポジティブな議論にたてば、デメリットもあるがメリットが非常に大きい。皆が情報を共有し、会社がどういう方向に行こうとしているか、社長が何を考えているか、あるいは取締役がどういう議論をしたか。これを社員が皆知ることによって全然違ってくると思う。しかし、それがそうなっていない。仮に情報が伝わっても末端の社員にまで届くには大変な時間がかかってしまう。むしろ情報を守秘しようとする傾向の方が強いのではないか。このままだと日本はいろいろなもので競争力を失って、気がついたら世界の孤児になっているのではないかという意識がある。なぜかと言うと、商社は因果な商売で、ネットワーク化されていない部分をつなぐ機能があり、そこに存在意義があった。そこで商売ができていた。ところが、インターネットができれば、単にネットワークすることは最早機能ではなくなってしまった。プリミティブな情報の提供では商売にならなくなった。そうすると、益々ソリューション・プロバイリングこそ商社が求められる機能となる。その為には今まで以上に幅広く、新鮮で、詳細な情報が必要になってくる。この情報を縦横に結び付けることによって、本当に顧客が必要とするソリューション・プロバイディングができる。付加価値が出てくるし、差別化ができてお客様にも喜ばれ、商社にとってもうま味のあるビジネスが可能となる。

 いま日本は、国家的にも、システム的にも、国際社会から置いてきぼりを食っている。それを、具体的に実例を見せなければならない。世界一の工業国家とかいっているが、本当にそうだろうか。情報化の果たす役割はものすごく大きいが、いまの日本の流通業界などでは、情報化が遅れているから顧客の本当に求めているサービスが提供できないばかりか、流通コストも高い。流通コストが高いから競争力がない。製造業だって同じことが言える。アメリカの自動車産業が立ち直ったのは、グローバル・プロキャメント・ネットワークをつくって、全部ネットワーク化する。その情報を得て、例えば鋼板だって一番安いところから入れる。そのようにして、工場もグローバルに展開していった。

設計なども本社の設計部門と協力部品メーカーとオンラインで結んでいる。本社の設計部門が先ず基本設計書を書いたらコピーをつくって、それを下請けに回して……。なんてことをしていたら大変な時間と経費がかかる。しかも設計図の通りにエンジンを作ってみてもここが入らないので、また直しをして……と。ところが、基本設計をする所とそれぞれのパーツを設計する所とが情報をリアルタイムで共有し正にオンライン上で設計作業を同時に複合的にやってしまう。大幅に製造工程が省かれる。従って大幅にコストの低減がはかられる。これがアメリカのビック3から100万円の乗用車が出てきた一因でもある。

何もセキュリティなんてことばかり言っていないでネットワーク化のメリットだけを追求すべきと言っているのではない。ネットワーク・セキュリティは極めて深刻なテーマで、国として考えていかなければならない程の重要課題だと受け止めている。従ってセキュリティはネットワーク化、情報の共有化と平行して考えていく必要があると思っている。私が言いたいのは、今の日本はネガティブな局面が勝って本質的な問題が看過されていることに本当は一番大きな問題が潜んでいると思うのである。今申し上げたことはほんの一例。世界はこんなに変わっているんだぞ、日本は様々な分野で遅れを取っているぞ、それは何もインターネットに代表される情報分野だけではない。製造業に於いても、流通業に於いても、金融やサービス業においてもネットワーク化、情報の共有化の遅れが、日本が国際社会に於いてリーダたる地位を危ういものにしてきていると言うことを声を大にして言っておきたいと思うのです。ネットワーク化、情報の共有化によって得られるメリットをもっともっと評価しなければとんでもないことになってしまうと言いたいのです。そしてネガティブと言うか情報が盗まれてしまう、改ざんされてしまうことのリスクは別の観点からその防止、保全に全力を挙げていくと言う姿勢、即ち情報の共有化と保全とに同時に取り組んでいかなければならないと思うのです。何かいつでもディメリット、リスクがあるとやらない、駄目、これが日本の今までのやり方、考え方。まずやってみよう、何か問題があればその時点で考える、対策を講じる。こういう姿勢がどうして日本は取れないのかと思う。日本に於けるネットワーク化とセキュリティの議論を聞いているとどうしてもそんな風に思えて仕方がない。

 だから、セキュリティの議論が深刻になれば、日本も情報社会としては進歩したものだということになる。進歩しているのではなく本質を見失っていると思います。

伊藤

 確かにセキュリティよりもビジョンの方が重要だと思う。ただ、現場では、セキュリティのことを知らなくても、インターネットは安全でないから駄目だと考えていて、それが商取引の足を引っ張っている。何よりも、セキュリティが悪いというイメージをなくさないと、ビジョンを語っても皆ついてこない。


 日本では、水と安全はタダという考えが古くからあった。だから、100%安全という前提から物事を論じるので、どうしても何事も減点主義になる。ところが、コンピュータ・ネットワークによる情報の共有化はいろいろなメリットもあるが、抜けてしまう部分もある。その抜けていく部分が日本人は許せないのだろう。とにかく、マイナスの部分があっても、差し引きトータルでプラスになれば、その方が得だという発想ができにくい。

伊藤

 リスクがないものほど、リスクがあるものはない。だから、株はリスクがないときに買ったときには絶対損する。ところが、日本ではリスクがないということが前提になっている。しかし実は、どこかにリスクが集中している。銀行とか、政治家とかにリスクは集中していて、それですごく甘い果実でもある。だから、そこが「白アリ論」になってくる。皆に「リスクというのはあるんだ。でも、リスクが出たらちゃんと我々は退治出来る」ということを感じさせる。

 ところが、例えばハンバーグは食べたいが、牛を殺すことは想像したくないのと同じ。「多分、政府が何かやってくれているだろうから、税金いっぱい払ってもいいや」といった、国民のボヤンとしたリスクのなさ。でも、これからは多分通用しない。

野村

 それに関連して、例えば「価値」というのは、クローズドでないと価値ではない。オープンだったら価値がなくなるという意識がある。しかし、いまはデファクトでないと価値がない。だが、そういう意識も日本にはない。オープンにし、クリティカル・マスをつくり他の追従を許さない。例えばマイクロソフトのWindowsがそのいい例。日本は相変わらずアップル・コンピュータのようなことをやっている。


 そろそろ具体的なポイントに基づいて議論を収束させていかないと次の展開がないと思う。それぞれに得意・不得意の分野があると思うので、それに分けて準備をされて、それに基づく発表をして、皆が議論していくような方向に収斂させていかないと、議論が拡散する。

 いままで伺っていて、日本の社会のとりわけ政治のインパクトの中で、こういう問題を効果的に国民にわからせていくには、非常に難しい課題がある。しかし、あえて言うと、クリントン、ゴアなどが、シリコンバレーの密約から、こういうダイナミックなシステムをアメリカ経済の中にビルトインしていき、それが非常にうまく転換していっている。このアメリカにおける現状を20年、30年、50年の単位で考えると、非常に大きな想像以上のインパクトになるだろう。

 例えば、アメリカの今回の景気上昇は183ヵ月続いている。この183ヵ月のうち、景気後退をしたのはわずか8ヵ月。アメリカの連銀の副総裁だった人間が日本に来て日銀総裁に会ったが、彼が明快に言う。「どうもアメリカには過去経験したような景気循環はなくなった。その証拠に183ヵ月の景気上昇があり、8ヵ月しか後退していない。かつ現状でインフレもないし、賃金の圧力もない」。

 なぜ、それが起きたのかというと、やはり産業構造の転換が非常にスムースに行われたからだ。それは、まさに我々が話しているこの分野だ。客観的にそれがどのようにして出来たのかというと、それは平和の配当だ。冷戦が緩和されて軍需に凍結されていた人材とノウハウとテクノロジーが、すべて民需に転換されて付加価値を生むことになり、かつ、一般産業のリストラで余った人たちを吸収することでも、付加価値を高めた。

 アメリカでも、国民所得統計とかグロスナショナル・プロダクトの統計の中に、こういう関連分野のビジネスを、ソフト産業に位置づけないで製造業統計にしてみたらアメリカの成長率は4%になる。

 逆に言えば、日本もそういうことを具体的にしなければ、日本の失業問題はもっと深刻だし、製造業自体の展開も弱まるのが現実だ。

 確かに文化論も教育論もあるが、やはりある1つの観点からタスクフォースを作り、1つのプロポーザルにまとめなければ、次の動きもない。

 逆に言えば、経団連のような組織の中に、どれだけこういうものを取り上げて産業として取り組む姿勢かあるのか。そのあたりが、非常にお粗末ではないかと思う。


 前回と今回合わせて6時間に及ぶディスカッションの中で、おおよその具体的課題は浮き彫りにされて来たことと思う。

 次回からは、Aさんのおっしゃるよう、テーマ立てをして専門のスピーカーをお招きして話を伺い、それをもとに皆さんにディスカッションして頂けるよう、私の方でも準備を進めている。
 時間がまいりましたので終えさせていただきます。どうもありがとうございました。