テレコム・ブレーンストーミング(平成9年6月27日)

参加者

原島 博 (東京大学教授)
野村一 (三菱商事(株))情報産業担当役員付部長)
A (外資系投資銀行社長)
牧野二郎 (弁護士)
畑 恵 (参議院議員)

会の主旨について


 現代の社会システムを大きく変えていく最も重要な要素である「情報通信」という分野について、今、政治家全体の意識が遅れているということを日々痛感している。その証拠に、様々な政策の中で「情報通信」は独立したカテゴリーとして扱われていない。「情報通信革命」に備えてという観点から各省庁の動きを総合的にリードしていかなくてはならない時代であるにもかかわらず、政治家の意識がまったく目覚めていない。

まず、「情報通信」に関する施策を進めていく際、通産と郵政は思い切って統合して事に当たらねば日本はこの革命的変革の波を乗り切れないのではないかとさえ危惧している。そして多くの人と話してみると共通の問題点として浮かんでくるのは、「明確な国家ビジョンに基づいて個々の情報通信についての施策は進められねばならない」ということだ。

この会では、この「国家ビジョン」に基づいた情報通信の「コンセプト」つまり、「日本版NII構想」とか「日本版スーパーコリドー」とかいう「コンセプト」の核の部分を探りたい。

 「コンセプト」がある程度見えたら、それに基づいてプロジェクトをつくり、どういう柱を立てたらいいのかを洗い出す作業をしたい。そして、それを実現しようとするときに、現在の日本の機構では「何がネックになっているのか」、「どこをどう直せばいいのか」、「各省庁を横断的に統括できる組織(タスクフォース)」はどのような形で実現させるのか、これらをこの会の主眼点としたい。

 また、既にある「高度情報通信社会推進本部」が現在の情報通信の流れの中では、うまく機能しているとは言えないので、これを見直し、省庁組織のあり方、民間との連動、専従スタッフとして必要な人材、などについても話し合いたい。

 加えて、必要な情報を一元化して収集・処理・分析して指令を出すという機能(本来なら官邸に備わるもの)は、国家にとって欠くべからざるものだが、現在の日本はこの機能が非常に弱い。これは、今回、行革で話し合われている官邸機能強化とか、首相のリーダーシップの発動に関する法整備とか、憲法問題にまで触れるところがあるが、そこまで議論できれば……。あるいは、そこまで行かなくても列島のコンピュータ・ネットワークをどのように機能させて行けるのか。また、ソフトやコンテンツをどのようにインフラに乗せていくのか、ということについてもご指導いただきたい。

 それから、沖縄で進んでいる「マルチメディア特区」という構想について、いまのまま本当に日本を代表するマルチメディア特区として、アジアや世界の情報通信のハブになり得るのかという問題についてもご意見を聞かせていただきたい。

 このような考えで、皆様方のいろいろな問題意識や危機感をフリーディスカッションしながら、率直な意見をお伺いしたい。

自己紹介を兼ねて・・・・

原島(東京大学)

 電気通信の中でも情報理論に近いことをやってきたが、1985年頃からマルチメディア的なことに興味を持った。当時は、まだ「マルチメディア」という言葉は一般的でなく、個人的に「知的画像通信」、あるいは「ヒューマン・コミュニケーション・サポート技術」という言葉を使って仕事をしてきた。また、ヒューマン・コミュニケーションの基本となる「顔」、さらには「感性的コミュニケーション技術」にも関心を持っている。

 この会に対する私の関心は、自分自身が一人のユーザーとして見たときの、広い意味での情報環境(場合によっては生活環境、あるいは生存環境)が21世紀にどうなっていくのかというところにある。

自分の専門はメディア技術だが、少なくとも21世紀の前半は、メディアがいろいろな意味で影響力を及ぼすことは間違いない。しかし一方で、21世紀は、高齢化問題、地球環境問題など、いろいろな問題を抱えている。我々の生活スタイルそのものを変えなければいけない時代になる。それにともなって、産業構造も変わっていくであろう。さらには、これまでのような、科学技術が進歩すれば、それだけ無条件に人類は幸せになっていくという意味での科学技術の信頼は失われていくであろう。そういう中で、メディア技術を通じて21世紀の抱えている諸問題、つまり、マルチメディアで出来上がる「サイバー社会」をどうするかということと同時に、それを前提として21世紀の「リアル世界」をこれからどうすべきか考えていきたいと考えている。

(補足:畑)原島先生は「俳句は究極のバーチャルリアリティーである」といっておられる。学者の方は、多くの場合特化した部分のお話をなさるのに、原島先生は、そういうことに直接触れずに、「とにかく、世の中の仕組みそのものが変わるんだ。マルチメディアは、最初はコンピュータという計算機から始まって、いまは社会をも変化させるだけではなくて新しい「サイバー社会」という、もう一つの社会さえもつくり出している。そうしたダイナミックな動きに関してさまざまな分野の間での対話が必要だ」とおっしゃっていらっしゃるので、そこに共感し参加していただいた。

野村(三菱商事→7月から第二電電・国際本部)

 1984年に通信の自由化でNCCができたときに、三菱商事から第二電電企画に5年間出向して、第二電電の創設に協力した。1994年から三菱商事のマルチメディア事業推進部部長。この間、新しい情報テクノロジー、産業基盤のあり方、あるいは日本のこれからの産業構造のあり方、特にマルチメディア時代、あるいはネットワーク時代の、商社の媒介機能、仲介機能がどのようになるか。商社は生き残りをかけてどのようにやっていけばいいのか、というな問題からマルチメディアをとらえ、21世紀の商社、インフォメーション・テクロノジーで武装して稼ぐ仕組みをつくらなくてはいけないということを会社に提案していた。

 商社は、部が違えば別会社というくらいの徹底した「縦割り」組織体制をとっているが「情報産業グループ」だけは、全社横断的な位置づけで社長直轄でやっている(必ずしも、十分に機能しているとはいえないが)。これは、このグループが横断的な使命を帯びていて、シナジーを使いながら商圏をつくっていかなければならない性格が強いものだという認識があるからだ。ましてや、政府こそ情報産業を担うところは「横断的な形で」やる必要がある。

 また、情報産業を知れば知るほど日本が、いかにこの分野において後進国であるかを痛感した。情報通信インフラの世界のランキングでは日本は36位で、クロアチアなど日本のODAの対象国と同じランクでしかない。このデータのパラメーターで一番大きいのは「通信コスト」。

 また、日本はアジアの経済の中心だと言われていたが、ほんとにそうなのか。第2次産業では日本が中心になっているかもしれない。しかし、第3次産業、特に金融・証券の中心は、東京から香港やシンガポールに移っている。マレーシアの「マルチメディア・スーパー・コリドー計画」などをみると、情報通信も日本から東南アジアに移ってしまうのではないか。ところが、この現実を政府も民間もあまり感じていない。

つい最近もEDIとかCALSという問題が出てきた。自動車産業のCALSは1文字のサイズの規格が1バイトに決まっている。つまり、アルファベットで高度化しようとしている。2バイトの漢字文化である日本はどうなっていくのか。しかし、日本の自動車産業は、このままでは世界の孤児になるという危機意識がない。例えば、お膝元の「ASIANカー(車)構想」にさえ日本のメーカーはほとんど出ていない。アメリカ、ヨーロッパのメーカーが中心になり、アジアでは韓国が積極的に参画しようとしている。しかもEDIとかCALSという技術を使って世界中に国際規格で統一された部品工場をつくり、CAD/CAMを導入し、設計製造工程の簡素化と短縮を実現させ、それらの工場の中から一番安いものを調達している。日本は、国際的に通用するCALSをトヨタ自動車といえども採用していない。独自のコードでやっている。日本の自動車メーカーの「部品をオンタイムで納入させ無駄な在庫も持たず部品切れも発生させない管理方式」は、下請け泣かせをしているだけであって決して近代経営ではない。日本の自動車技術も生産力も世界一、だから外国メーカーが日本規格に合わせてくるとでも思っているのだろうか。とにかく日本メーカーもメーカー独自の規格を有し、自社の系列部品メーカー等との間はこの規格でちゃんと統一しているのである。それにも拘わらず世界どころか自動車業界としての統一規格は持っていない。遅まきながらMITIのお声がかりで統一規格の検討に入ったばかり。それがCALSなどに如実に現れている。ローカルなコードを持ってインターナショナルに出て行こうとするというような考えがまだ残っている。このままでいくと日本の自動車産業は、完全に世界に置いて行かれるのではないか。

そのような中で、橋本政権はかなり真剣に規制緩和をやっている。これに対する期待は大変大きい。通信料金でいえば、1984年には東京-大阪の通信費は400円だったが、いまは三分の一の130円。自由競争が少し行われるだけでここまで下がる。にもかかわらずNTTの収益は圧迫されていない。相変わらず4,000億円の経常利益を出せる。それはどうしてだろうか。それは生産効率を高めさえすれば日本経済の個々の産業の収益力を有しているからに他ならない。非効率、無駄な経営による費用を消費者に転嫁していただけ、国内に限定されたサービスだったからこそ、そういうことも可能だった。しかしこれからは違う、否応無しに国内と国際の壁は取り外されてしまうのである。

 だから、政府の規制緩和に期待する面もあるし、もっと民間活力が波及させられる分野があるのではないか。また、それを支えるインフォメーション・テクノロジー、マルチメディア技術というものに期待するところも大きい。早くこれらを取り込まないと日本は置いて行かれるという強い印象を持っている。

A(外資系投資銀行)

 アメリカの、この5年間のサクセス・ストーリーがグローバル・スタンダードという形で世界に波及しようとしていることに対しては、ヨーロッパも日本もアジアも抵抗がある。しかし、現実には、テクノロジーを含めて、これを否定できない状態にある。だから、私の立場としては、「アメリカで現実にこういうことが起きて、こういうダイナミズムで世界に波をつくっている」というお話しをすることでこの会に貢献できると思う。例えば、ある社が日本でフランチャイズを構築するためにパートナーを求めているという場合に、先端技術を持ち、マルチメディアのビジネスを日本に新しくつくりたいという考え方の接点が私どもには具体的にある。そういう観点からお話するのもいいのではないか。

 これを踏まえて、基本的に大事だと思うことは、アメリカでのディベロップメントだ。 象徴的に見ると、6年前にブッシュ大統領が日本に来たとき(パーティの最中に倒れた事件があった)に、ビッグ3のトップを全部日本に連れてきて自動車外交を展開した。このテレビ放映を日米の国民が観て、アメリカ人は非常にがっかりし、日本人は逆に意外感を持った。

 これが6年前の日米関係だった。ところが、その瞬間からアメリカには非常に周到なリカバリーのシナリオが用意されていた。ここから始まってきたことが、クリントンが選挙準備中にシリコンバレーのトップを集めて選挙協力を依頼し、相互に確認した構想が「情報スーパーハイウェイ構想」であった。「マルチメディアの推進」を大統領の一つの政策課題として掲げて、ゴア副大統領がそれを宣伝するという計画ができた。一方、面白いことに自動車産業も世界に復権した。日本でもトヨタとホンダは残るだろうが、他の自動車メーカーは残らないだろうという状況にグローバル的にはなってきている。

 また金融分野では、6年前には世界のトップ20行のうち18行を日本の銀行が占めていた。ところが、いまや日本の金融界はすっかり実力を失って、アメリカの金融パワーの前には見るべきものがなくなってきている。

このように、アメリカは極めて戦略的にこの5年間、世界に対応してきた。

 橋本総理の指導力がどこまであるか分からないが、アメリカがこの時やったことをやろうとするくらいの気持ちがなけれけば、これから作ろうとする提言も単にアメリカや世界の波を追い掛けるだけで終わってしまう。

いま、マルチメディアの世界には「インフラストラクチュア」と、その上に乗る「テクノロジー」の分野、そして「コンテンツ」がある。この「バリュー・チェーン」を組み上げていくレイヤーがピラミッド型であったとすると、一番の基本は、通信の設備や通信網といったインフラになる。その上にハードのテクノロジーがあり、それをさらに特化させた上でのコンテンツが乗っていくという形になる。どうしてこれが「バリュー・チェーン」と呼ばれるかというと、上になればなるほど付加価値が高いからだ。したがって、今日のマルチメディア産業をリードするものは、究極的には「インフラ」よりも「テクノロジー」、「テクノロジー」よりも「コンテンツ」というのが標準的な考え方だ。

 インフラにおいて、いま日本で話題にっているのはNTTの海外進出と持ち株会社だが、これまでの日本の国際進出というのは無きに等しい。せいぜい商社が世界の通信プロジェクトの幾つかにかかわっている程度で、世界の通信分野のインフラの相関図は、すでに出来上がっており、日本を巻き込もうとしている。世界の通信会社の相関関係は既に欧米に独占されている現状から、日本が、これからどのようにこれに入り込むかというのは、かなり政府レベルで政策戦略的に考えていかなければならない。

これを迎え撃つ日本の、NTT、KDD、ジャパンテレコム、DDIなどが、基本的に合従連衡的な体制を組んで国際的に日本の独自性を発揮し、日本の国益を守ることができるのかということが非常に重要だ。

現状では、個々の企業がバラバラに欧米企業との関係をつけようとしているだけで、大きな「グローバル・ビジョン」は何もない。だから、このままだと飲み込まれてしまう。これが有線インフラの現状だ。

 また、これらの先には衛星通信がある。

 いまや発展途上国も含めて、通信インフラを構築する手段は無線になっている。衛星によるネットワークで地球を包むサービスを展開すると、国境を超えた通信インフラがすぐできる。

 構想として過去5年間動いていた「グローバルスター」という衛星通信会社が、先週ニューヨーク市場で資金調達を開始した。まだ赤字だけの会社だが、アメリカ国民はいち早く可能性を見つけて、大変な勢いで資金を集めている。

 また、今週「イリジウム」という将来性を期待される赤字だらけの会社が上場を発表して、これも非常に人気を集めている。やはりアイデアを持って走る金融界と、これに期待する国民、そしてこれを支える法制度や規制の緩和を行っているホワイトハウスの連携プレーが見事にワークしている。

 このように、「活力」は民間だけでも、政府だけでも、テクノロジーだけでもできない。この3つがうまく機能して初めて成し遂げられる。

例えば、「マルチメディアは国や企業のレベルの問題で、個人や家庭にはあまり関係がない」と思っていると、そうではない。いまやテレビがパソコンと融合して個人の家庭にマルチメディアとして入ってくる。しかも、テクノロジーとセットアップのすべてを、世界で一元的につなぐ時代もきている。だから、すでに非常に大きなインパクトを日本の社会や文化に与え始めている。

 日本でのこの分野の代表的な企業はソニー。一昨年にかけてDVDのグローバル・スタンダードを争って、日本のメーカーが二つに割れて争った結果、最後には一元化されてグローバル・スタンダードになった。これまで、唯一このような家電分野におけるイニシアティブは、日本のメーカーが持っていた。ところが、このDVDがアナウンスされた直後に、私がカリフォルニアで主催している「メディア・コミュニケーションズ・コンファレンス」にタイムワーナーの会長が来て、千人の前で「今回のDVDのスタンダードづくりは、実はハリウッドの力だ。すなわちコンテンツを持っているところが製品規格まで決める時代だ」と宣言した。つまり、日本のメーカーは、このようなパワーももう後追いするだけになってきている。

 だから、「提言」を考えるのであれば、こういうダイナミズムに対して、メーカー段階のダイナミズムと、それをオーガナイズしていく商社機能とかコンテンツを制作する人のダイナミズム、それと投資家である個人の投資利益とを重ね合わせていくという観点からなされないと意味がないのではないか。

 今日は1回目ですのできわめて概括的な話をした。皆さんで議論に具体的な方向性を位置づけられていく中で、私としてお話できることがあれば、させていただきたい。

(補足:野村)アメリカでは、このような話をするとき、通信業をバックアップして資本市場が必ず付いてくる。金融ビッグバンと通信のビッグバンとは全く無関係ではない。シナジーを持って相互に作用していかないとできない。

 日本がバブルの後遺症の修復をやっている間に、アメリカはダイナミックにいろいろなことを始めていた。これには、後ろにいる投資家のパワーが無視できない。そこで、このようなことに詳しいAさんを推薦し、来ていただいた。


 私どものトップでメディア・テレコム・グループのヘッドは、ホワイトハウスのタスクホースのメンバー。だから、クリントンが「スーパーハイウェイ」や「マルチメディア構想」を作成したときに、金融分野やテクノロジー分野のディスカッションに加わっていた。

 これだけの構想には、何十兆円ものお金が必要だが、額が多すぎて企業段階では調達できない。インフラをつくろうとすれば5年から10年は赤字が続く。だから、誰かが将来的に見込んだ資金調達を手掛けて、しかも一般投資家にわかりやすくプレゼンテーションしてやらないと動かない。

 ところが、日本には1,200兆円という世界一のお金が余っていて行き場がない。これは、産業人も、金融人も、政府も、誰もがビジョンを提示しないからだ。そこで、仕方なしにこの資金はアメリカ企業のファイナンスに向かっているだけ。日本では運用の仕方がない。これは日本の大きな課題だ。金融機関にも、これだけの意識を持っている人間はゼロだ。

 アメリカの5、6年前は、今の日本以上に悲惨だった。金融界は大変な不良債権を抱えて何百行と潰れていった。しかし、日本以上の国家資金を金融システムに投入し、その不良債権の処理を早々に終え立ち直り、新規の投資先を捜した。テクノロジー分野や自動車産業においても、日本に完全に敗けているという意識だった。

 クリントンへの批判もあったが、彼は自分に実力がない部分、他人の力を借りることに長けていた。オーガナイジングが非常によかった。また、アメリカの敗北感からくる立ち上りの力はすごかった。

 これが、日本でワークするかどうか疑問だが、アメリカでワークしたのは、やはり情報の開示等によるところが大きい。だから、日本にどう対抗したらいいかという危機感があってシリコンバレーもクリントンに賭けた。ベンチャー企業がいろいろなアイディアを持ってくるのをホワイトハウスも取り上げた。

 加えてプラスだったのは、冷戦の終結からニュー・テクノロジー分野の民間へのリリースがあったことだ。軍需産業に凍結されていたテクノロジーと人材が一斉に野に放たれたことだ。これらが、全部がうまく絡んだ。

アメリカの今の覇権がどこまで続くか。もろさはあるし、弱さもある。社会の歪みを抱えてる国でもある。その歪みが出るときに向かって日本として何をいまから準備できるのか。日本も、この挫折から立ち上がる準備がいまできているのか。

 このような会で、そのようなビジョンが構築されてくるなら日本にも望みがある。政府に何のトーキング・シナリオすらないということなら、アメリカのグローバル・スタンダード化が進み、日本はそれに組み込まれていくだけだ。

牧野(弁護士)

 私は野に這うような形で、インターネットを通して法律相談をしたり、インターネットの中での法律業務を検討している。弁護士の中から一定の評価とかなりの批判を受けてもいる。

 弁護士会自体も護送船団方式でやっており、「諸外国の法曹人と互角に戦えない」といわれて久しいが、一向に改善できないでいるのではないだろうか。

 海外に出て行った日本人が、法律家としての資格を取り、ホームページを開いて「どうぞ投資はこちらに、私が担当しましょう」と、各業種が、関連業種の法律相談をインターネットで始め活動をしている。これに対して弁護士会は大騒ぎをしているだけということだ。黒船襲来で大騒ぎしていた明治維新のような感じだ。

 いま弁護士が大きく変われるかというと、まず無理だと率直に感じる。護送船団方式できているので、弱くなると常にナショナリズムがでてくる。常にギルド組織に向かってく傾向が強い。弁護士会は「ギルド」と言われることを嫌悪するが、それは自分がギルドであることを自白している様なものだ。

 ILCというインターネットを通じて市民との交流を図ろうという団体をつくって、弁護士が100人ぐらい参加し、学者の先生や研究者、マスコミ人なども参加して全部で約500人で、いろいろな議論をしながらやっている。

 一方で、富山県の山田村で全家庭にパソコンを持ち込んだ。基本になるインフラをどうするかという問題とコンテンツの問題、そして、それを受け入れようとする「人間」の問題も大きいということに気づかされた。自立している人でも皆がやるんなら俺もやってみようか。弁護士会がやるなら俺もやってみようかなといった横ならびのレベルで、まだ自分の力で判断するというところにまで至っていない。その意味では、情報産業が進んでいく中で、我々個々人の個性の磨き上げをする必要があるのではないか。

 文部省とか郵政省が先行プロジェクトをいろいろ考えているが、どうも単発で、十分に成果が国民にフィードバックされていない。私が関わった世田谷の「教員のつくったホームページ削除」の問題では、各小学校でホームページをどのようにつくるかという議論があった。先生方は前に進もうとするが、教育委員会は他の教育委員会がやってないから認めない。これを無視してやろうとすると、地方公務員法に反するからクビにすると脅しをかける。横一線から少しでも出ようとすると猛烈なバッシングに遭う。こういう仕組みがあちこちにある。

アメリカや急速に進んでいる国々とどう伍していくかということを、国民の思想として考えなければならない。それはナショナリズムではなくて、世界の中で日本の良さ、あるいは世界への情報発信をどう確保していくかということをもっと明確にすることだ。

 今の問題としては、国がもっと自信を持って、教育問題を基軸に据えてどのように国民をブラッシュアップしていくかということだ。これまでの日本の場合は、重厚長大なインフラを中心として引っ張って行くところが主導的だった。ところが、インフラが一定程度まで進んでも、それを支えていく部分のレベルアップがなかなか進まない。この部分は、意図的に進めていかないとうまくいかないのではないか。

 例えば、小学校にインターネットがあって自分たちのホームページがあれば、子供の頃から著作権だとか肖像権だとかを学ぶ機会ができる。他人を批判することが名誉毀損になる部分と正当な批判とどこが違うのかということを勉強する。子供たちが写真を載せる代わりに似顔絵にしようとしてその絵が有名な漫画家の作品に似ているけれども、これでいいんだろうか、ということを子供たちが議論し始める。そういう教育がある。このような進め方をすると子供たちは非常によく理解する。こういった教育を進めれば、5年、10年後には立派な情報社会になっていくのではないか。文部大臣であった小杉さんはインターネットに理解があるので期待していた。しかし、それが国民の意識に至ってないと強く感じる。インターネットで法律相談をやっていても、全国を相手にしている割合には相談が少ない。日本人は情報発信や相互交流が下手だ。

 政府や各省庁は、ガイドラインを出して批判があったらどうしようかとビクビクしながらやっていると感じる。もっと自信をもってやってほしいと、強く感じる。

 今回、組織もないところで勉強会をお始めになるというので非常に共感が持てたのは、いままで省庁でやってしまうとその枠組みから抜けられない。いっそのこと枠組みを外したところで議論をして、国民にわかりやすい言葉で緊急提言をまとめていただきたい。緊急提言を国民が読んだときに、「ああ、なるほど。面白い」と思うようなものにしないと、いくら政治家がいっても国民は全然動かない。

 例えば全小・中学校にインターネットを敷き、全小・中学生がインターネットを勉強でき、これを通して交流ができるようにするといった、国民にわかりやすい、明確なビジョンをつくって、明白な推進力を持っていかなければならない。

原島

 クリントン=ゴアの「情報スーパーハイウェイ」と言われているものは、よく読んでみると「光ファイバーを敷け」というのが主ではない。むしろ、アメリカ国内でこういう問題を抱えているので、それを解決する方法として、情報基盤が重要なんだといっている。特に教育問題は非常に大きく扱われた。

それに対して、日本では、光ファイバーが技術的に可能になったから、どう使うか分からないけれども光ファイバーを敷いておけば何とかなるだろう。パソコンを配っておけば何とかなるだろう、という発想だった。それが、日米の非常に大きな違いだ。

 漠然と「21世紀はこうなるから、そのための準備として何かしなければならない」というのではなかなか難しい。むしろ「具体的にいまこういう問題がある。それを解決するためにはこれが重要だ」という、「病状と処方せん」という形で示さないと難しい。アメリカは、それをやった。


 この問題には、「国家としての戦略的な問題」と「企業の競争力の維持」という面と、一番重要な「国民生活との触れ合い」の部分だ。「国民個人との触れ合い」の部分があって成り立つわけだが、これが一番むづかしい。

 例えば、インターネットを家庭や学校へ全部敷くことは、もちろんやるべきだと思いますが、インターネットの世界では情報は全部オープンですから、ワイセツなものや有害なものが入ってくる。全部にアクセスできたときに、子供たちはどう対応するのかという非常に大きな社会問題を含んでいる。最終的には、インターネットは情報を取捨選択するという国民一人一人の独立心とか自立心による。それは、集団指向を特徴とする日本の文化にはなかった。これは非常に根源的な問題をはらんでいる。だから、ある程度突っ込んだ考え方をしなければならない。極めてバーチャルなものに走る奇妙な人たちも生んでしまうという弊害もある。ただアメリカは、そういった矛盾を全部抱え込んだままで走っている。だから、どこまでの蓋然性を受入れるかというところまで考えないと、この議論は進まないと思う。


 日本的なるものの良さを失っては何もならないが、しかしその一方で、ムラ社会的な横並びとか独立心の無さを温存したままでは打ち破れない壁が、情報通信革命をサバイバルする上ではあると思う。となると、国家論、文化論ということまで論じていかないと薄いペーパーになってしまうのではないか。非常に高い山だなと実感しつつも、非常に興味深い登山になるということを確信している。

 私が常々一番苦慮しているのは、どうして日本政府の施策は箱物中心になり、横並びになってしまうのかということ。それはやはり「これこそが日本だ」というビジョンというか指針がないからではないか。例えば、「情報通信」というテーマについて現在必死で一政治家として取り組んでいるつもりだが、「さて、なぜこんなにこの分野に、日本は力を入れなければいけないと、自分は思っているのだろう」と自問し直してみると、とりあえず浮かんでくる答えは、「追い付き、追い越せ」以上のものでないことを知って我ながら愕然とする。

たしかに日本人は、これまでずっと他国を追い掛け真似をし、それを上手くアレンジしてやってきた。これからもそれで良いと言えば良いのかもしれないが……。しかし、きわめて変化の激しい今日の情報通信革命の中では、自らの羅針盤を持たなければ日本は生き残っていけないのではないかと思いはじめた。


 いま我々が議論しているのはリアリスティッでプラクティカルな、日本の高度情報社会をどう構築するかというアプローチだが、同時に、政治的には、その結果起きてくる社会的影響に対してちんとした措置を講じておく必要がある。例えば、犯罪を生む可能性があるとか……、そんな中でもプラクティカルに、進めるものはどんどん進めなければならない。

野村

 「アメリカはコンセントビルディングがうまい」という話は、まさにその通り。しかし、NIIについてもVODやCATVもほとんど機能していない。ところが、アメリカが偉いのは、例えば通信インフラで、84年にATTを分割したが、インフラはシームレスでなければならないということが分かると、すぐ通信法を変えて一緒にやることにした。


 もっと具体的にいうと、有線よりも衛星のほうが大きい。電波の割り当てをいかにブローダーバンドに向けて自由化していくかという中でアメリカでは新事業がどんどん立ち上がっている。そこに雇用が吸収され、ベンチャーができている。こうした取り組みの視点は、日本にはないような気がする。

 日本でなら、まず予算措置をしてからものすごい資金を投入してやる。ところが、アメリカでは予算はゼロ。むしろ、国は業者に資金を出させている。その金は一般投資家がビジネス機会に向けて投資している。だから、民間の活性化を生かすように行政が働く。こうした循環は、コペルニクス的なパラダイムの変化だ。これが出来ない限りダイナミズムは出てこない。


 先ほど「国家論」という話があったが、「理念」という国家論ではなくて、国の「システム」としての国家論をしなければならないということではないか。


 その通り。アメリカでそれを誘導しているのは、ホワイトハウスのスタッフ。日本で官邸機能を強化するのであれば、我々の作るこのペーパーがそこに向けて行くなら、その中に強化されたものがあって、その中に専念する人が入っていてもいい。

 省庁はなるべく「規制緩和」と「最低限のガイドライン」をつくって、あとは官邸とコーディネイトされる形で電波行政を自由化していく中で対応するというふうにしなければならない。こちらからビジョンを出して、「こうしなさい」というのは基本的に無理だと思う。


 ですから、一番重要で、そこに収斂したいと思っているのは、そのタスクホースのあり方……。


 それは、政、財、官、学……あらゆる層から吸い上げるべきだと思う。

原島

 この種の会で面白く思うのは、メンバーの年齢層によって議論が全く違うこと。大体、団塊世代以上が中心になると「日本はどうなるか」という話ばっかりになる。ところが、三十代の人は「自分に何ができるか」という発想をする。

 日本には「お上がやってくれないと自分は動けない」といった他力本願的な発想がある。それぞれの会社にもある。ところが若い人は、他力本願ではなくて、自分がやりたいことがある。それをやりやすくさせてくれというだけ。その違いは大きい。そして、やりたい人がやれるような仕組みを、どのように作るかということが重要だ。

 この「高度情報通信社会推進に向けた基本方針」の内容を見ると、少なくとも「社会推進」は、どこにも書いてない。経済構造改革みたいな発想はまるっきりない。


 それを話し合えるような組織になっていないことが問題だと思う。

原島

 結局、「自分のところの情報化はこうやります」と言う各省庁の考えを寄せ集めただけのように見える。これに代わるようなものをどうするのかと、いま考えるのはいいことだ。


 私はあえてこのような発言をするのも意味があると思うので言うと、例えばアメリカで法律がどんどん進むのは、政治家がどんどん立法へ働きかけて動かしているからだ。政治家個人がそれだけのブレーンを持ってやっている。そして、かなり専門化している。だから、畑さんがそうされたいと言うんだったらそれでいい。ただ、逆に言えば、官邸も含めてそこまでの指導力がないとだめだ。いまの問題でも、例えば、橋本さんが「これで行こう」なんて言って、間違えられたら困る。官庁を引っぱり出してやる時代ではもうない。むしろ、立法府の議員の能力が問われている時代なのだと思う。


 おっしゃる通り。しかし、秘書が3人しか国から支給されない現状では、私のような超貧乏議員は、議員立法をどんどん打ち出すようなことは現実には不可能だ。従って、皆さんのような方々にブレーンになって頂き、その考えを持って政治力のある議員に伝えて政策として実現させてもらうなり、賛同議員を集めて議員立法として持っていくよう努力するなりしていくつもりだ。そして今回は、総理に直訴するという形を取るというわけだが、もっと大物の議員が問題意識をもって動いてくれれば、私ごとき一年生議員がこのような会を自費で開かずとも済むのにとは思う。

 ただ、マルチメディアのことも、私のような一年生議員がわいわい騒いでいると、政治家よりも周りの秘書さんとか事務局のスタッフの方が危機感を持っているので、徐々にそちらの方から動き始める。省庁の中にいる方々も、多くの場合、個人としてはフラストレーションを抱えているので、それらを引き出し、変革の力に統合していくことも大切だと考えている。いずれにしても、今後の皆さんの活発な御議論に期待しています。