インタビュー
フランスに興味を持たれたきっかけは何ですか?
K.H.高校2年生の時、多分教育TVだったと思うのですが名画特集をやっていまして、「天井桟敷の人々(Les Enfants du Paradis):マルセル・カルネ監督」という映画を観たんです。その時の感動と言ったら、もう雷に撃たれたようなショックというか、一週間くらい夢心地で魂が抜けたようになってしまうほどでした。特に主演のジャン=ルイ・バロー(Jean-LouisBarrault)のあまりにも澄み切った、切ない瞳に憧れて。当時はまだ彼も生きていましたので、よーし、フランス語を勉強していつかバローと絶対に話すんだ!と心に決めたんです(笑)。
大学時代にはフランス文学を専攻しましたが、入学当初は美学-美術史を専攻したくて大学を選んだんです。ただ語学の授業の際にちょうどフランス演劇がご専門の女性の先生がいらっしゃいまして、すごく知的で颯爽としてらっしゃったんです。その先生の研究室を訪ねては、そこにあった映画のポスターや、料理の本や写真集、美術展の案内等を見て、あぁ私が興味を持っていることや心引かれる事というのはフランスを窓口にすれば何にでも行き着けるのかな、と思った記憶があります。
―HPでは「フランスと私との運命的な縁(えにし)、それはやはりアンドレ・マルローとの出会いに始まる。」とありますが。
K.H.アンドレ・マルロー(Andre Malraux)は私の人生の師と言いますか、マルローがいたから今、社会人としての自分がいるというぐらい、私の人生に決定的な影響を与えてくれた人です。人生に影響を与えられた作家というと、一番最初はカミュ(Camus)だったんですが、太陽に幻惑されて人を殺してしまうといった話はなかなか私たちの日常とはかけ離れていますよね(笑)。それから次はサン=テグジュペリ(Saint Exupery)に非常に共感しました。でも彼も結局は地面に這いつくばって生きている人間ではなくて、飛行士として空から世俗の世界を睥睨するといった人ですよね。そういう意味ではこうやって地べたをうごめいて悩み続けるしかない自分のような人間の人生に、「こう生きよ!」という答えを与えてはくれませんでした。
いかに生きるべきかと悩んでいたある日、アンドレ・マルローの作品と巡り会ったんです。中でも青春のバイブルとも言える決定的な一冊が「征服者(Les Conquerants )」という作品です。主人公の革命家が社会の不条理に対し、命を賭してギリギリの抗争を続ける姿が淡々と描かれているんですが、必ず死んでいつかゼロになってしまう人間の人生になぜ生きる意味があるのか―それは死に限らず、あらゆる不条理に抵抗し続けることこそが“生”の証しである―という、行動主義(Engagement)のコンセプトに強い共感と救いを感じました。「人生とは限りない挑戦」、つまり不可能あるいは死や不条理に対して挑戦し続けることこそが「生」そのものであるという考え方が、その後の私の人生における基本姿勢になっています。
今思うと、カミュもテグジュペリもマルローも皆フランス人ですよね。物事を突き詰めて考え、洗練を極め感性を研ぎ澄ませることを何よりも尊重するといった価値観そのものが、他の民族と違ってすごくフランス的だと思いますし、その点は日本人とも共通する所があると思います。
―プロフィールにESMC(文化高等経営学院)やレコール・ド・ルーヴルで勉強されたとありますが、日本の学校で学ぶことと比べてどう思われましたか?
K.H.私が通っていた「ESMC」というビジネススクールでは、私の他に日本人は1名しかおらず、若い学生さんと既にお仕事をされていらっしゃる方との混成チームの中で学んでいましたので、言葉の問題を筆頭にかなり厳しい環境でした。日本の学校では先生が話す事を学生が受動的に受け入れるというスタイルが大勢じゃないですか。フランスの場合も、やっぱり先生が一方的に喋るところまでは同じなんですが、学生は少しでもおかしいと思ったり質問があれば、いつでもワッとその場で立ち上がって、そのまま先生と論戦になったり、時には先生の方が論破されてしまったり、更に納得できないと学生が教室を出て行っちゃったりという事もありまして(笑)。フランスの授業というのはディスカッションをする所、まさしくdebat=論争の場であるという事を学びました。
「レコール・ド・ルーブル」はと言うと、こちらはルーブル宮内にある非常に大きな教室で、貴重なスライドを見ながら先生がいろいろと説明してくれたりと、授業の内容もとても興味深かったのですが、とにかく公開授業ですので、日本で言えばカルチャーセンターに行かれるような方々も沢山そこにいらっしゃるんですね。朝早くからお年を召した方々は席取りをしてらっしゃいますから、前列の良い席はご年配者でいっぱいになってるんです。いわゆる学生さんというのは、後ろの方で頬杖をつきながら時々メモを取る程度なんですが、年配者の方々はそれはもう熱心で、一言一句聞き漏らすまい!といった気迫を感じる程で、資料も沢山携えられているんです。 日本でもそうなのかも知れませんけど、やはり勉強に対する情熱と言いましょうか、向学心と言いましょうか、それはお年を召した方のほうが強いようで、とにかくとても熱心で良い励みとなりました。 フランスではたとえ杖をついてでも、またどんなに歩みが遅くとも、出来るだけ他人の手を借りないで最後まで自分の足で歩こうとするんですね。最後まで自分の人生には責任を持つし、その代わり最後まで自分自身の人生として完全燃焼させて味わい尽くそうという姿勢が痛いほど伝わって来る、年配者の姿には学ぶところ大でした。
―パリに留学して何を得ましたか?
K.H.私自身はパリに行って語学ですとか、知識・技術を学んだというよりも、むしろ何というか新たに生まれ変わった、「再生」したという感覚があるんです。留学をする意味というのは確かに、様々な知識や技術を習得するということもあろうかと思いますが、しかしもっと・・・いろいろなしがらみから自分自身を一旦切り離して・・・何かこう、守ってくれるものも無い代わりに、自分を縛るものも無いというような、完全にフリーな自分というものを得られることじゃないかと。 自分の感性というものが本当に解き放たれますので、それまで日本では何気なく見過ごしていた事でさえも、「あぁ今日は雲があんな形をしている」とか「包み込むような優しい日差しだ」とか「今日の雨は懐かしい匂いがする」といった事をごく自然に感じられるようになるんです。中でも今も忘れられない感動的な瞬間は、ある日の黄昏時、雨上がりのバスティーユ広場の石畳を歩いていると、地面からふぅっと淡い蒸気のようなものが沸き起こって来て、その瞬間、何と言うかたまらなく優しい至福の時が流れて「あぁ、私は地球と一体なんだなぁ」という感覚に包まれたんです。日本にいるとやっぱりいろんなしがらみがあったりして、多分感性ががんじがらめになってひどく硬直していると思うんですね。それがフランス、特にパリというのは特殊な所で、自分の感性とか発想とか、つまり自分の魂を思いっきり自由に解き放ってくれる場所だと思うんです。私も世界中いろんな所を訪ねましたが、ああいう感覚を取り戻せるところというのは何処にもなくて。だからいろんな事を勉強するのも大事なことですが、魂が完全に開放されて感動的な物事に心から感動出来るような自分というのを発見出来るパリを、是非これからフランスに旅立たれる方々にも味わって頂きたいな、と思います。
―フランス語はどのように学習されましたか?
K.H.大学では広く間口を広げてみようとフランス文学を専攻したわけですが、いつか必ずフランスで暮したいとは思っていましたので、1年生の終わりぐらいから3年間、大学と並行して日仏学院に通いました。あの頃は確かに良く勉強しましたので、日常会話には困らないくらいにはなっていたと思います。 ただそれから会社勤めとなったこともあってなかなかフランスには行けませんでしたが。
実際に留学するまでには結構時間が経ってしまって、29歳の時にやっとフランスに留学することになったんです。出発の1年ぐらい前から週3日間、2人のフランス人の方から個人レッスンを受けていました。特別な才能の無い私がフランス語を上達するためには、やはりそれだけ勉強するしかありませんでしたから。 どの語学でも同じですけれど、自分が興味を持てることを、例えば映画が好きならフランス語の映画を沢山観る。わたしの場合は、たまたまぞっこんだった先程の「天井桟敷の人々」という映画が、美しいフランス語の宝庫のような映画でしたので、何度も何度も台詞を覚えてしまうくらい観ているうちにイントネーションや発音などが自然に身についたような気がします。 その後もフランスで「野生の夜に(Les Nuits Fauves):シリル・コラール監督」という作品に傾倒しまして20回くらい観たんですね。そうすると台詞がある程度「音」で入って来ますので、いわゆる口語調の喋り方を効率的に学べた気がします。
―フランスではどんな所に住みましたか?また苦労した事等も教えてください。
K.H.最初の1年間は右岸の8区にありますMIROMESNILという所に住んでいました。ここはオフィス街だったのでちょっと生活感に乏しく、特に土日は人も少くて。近くにモンソー公園というそれは美しい公園がありましたのでそれは良かったのですが、やっぱり暮らすなら左岸、それも6区がいいなぁと思うようになりました。希望の物件とめぐり合うまで結局30件くらいは見たでしょうか。フィガロ紙の広告欄とか、不動産情報誌等を見てすぐに現地を見に行くんですが、エトランジェの日本人である上に、私は会社などの組織に勤めていませんでしたから、信頼を置いて貰えずほとんど貸してくれないんです。それで結局、住みたい地区の不動産屋さんに飛び込んでは直談判を始めました。結局最後はたまたまEUの職員の方が大家さんだったので、大家さんと直接話をした際「EUの招聘による留学者なら大丈夫」と言う事になり、やっとアパートを借りる事が出来ました。
パリの生活での苦労と言えば、結構苦労は多かったかも知れませんね(笑)。というのは日本ではもうカユイ所に手が届くというより、カユクなるだろう所にまで先回りして手が届いているというくらいに何でもやってくれますよね。ところがパリではそうしたことはまず有り得ない。
例えば最初に借りたアパルトマンでは、簡単な家具は入れてあげますよって大家さんが言っていたんですが、引っ越してきたら何とカーテンレールすら無かった。じゃあどこかで買わなけりゃと思って、パリに長く住んでいる友人にデパートへ付き合ってもらって、カーテンレールと出来合いのカーテンを買ってきて自分で裾上げをしました。ところがカーテンレールを付けてもらおうにも、そう簡単に業者がいないんです。しょうがないので友人のまた友人のアーティストだというイタリア人にお願いして付けて頂いたんですが、何だかその人も慣れない感じで。1時間ぐらいかけてやっと付いたと喜んで「じゃあねー!」と見送った直後、ベッドルームで「ドサッ!!」という音がしたので見に行ってみると、見事にレールごとカーテンが床に落ちていて、おまけにしっくいの壁にポッカリ穴が空いていて(笑)!
それから食器類をデパートで買った時も苦労しましたね。日本は宅配を頼みますよね。あちらは宅配というのもさほど一般的でなくて、頼むと段ボール1つ送るのに1万円くらいするんです。でも自分ではとても運べる重さではないので、とにかく宅配で送ってもらったところ、箱を空けて見てビックリ!
何と半分ぐらいの食器に(使えなくはないけど)細かなヒビが入っているんです。更に頼んだものと違う物が入っていたり、買った物が入っていなかったり。でも文句を言うとさらにトラブルの元ですから、もうしょうがないと結局泣き寝入りしました。
それからテレビを買いに行った時。食器類の事で学んでいたので、とにかく自分で運べるぎりぎりの重さのものを買いました。売り場からお店の出口までは何とか店員さんに頼んで運んでもらったんですが、そこからは一人。しばらく舗道を歩いているとどんどん重くなって来て、しかも外は小雨が降っている。少し離れたタクシー乗り場まで引きずるように運んで行ったわけですが、ちょうど通勤の人々が帰る時間で道々沢山の人とすれ違うのに、女性が道を重い荷物を引きずって苦しそうにしていても誰も気にも止めてくれない。あぁ、やはりこの国、この街では、自分の事は自分の手と足でやらなければ生きて行けないんだ。もっともっと精神的にも体力的にも強くならなくちゃ、とつくづく実感しました(笑)。
留学中、パリのアパルトマンに近かったカフェ「la Palette」( Rue de la Seine )の名物ギャルソンさんと。
―99年から開始されたワーキングホリデー制度についてどう思われますか?
K.H.はい、すごく良い制度だと思います。留学をして語学学校などに通うというのも良いでしょうけど、海外で得られる一番の宝は、現地の人とのコミュニケーション、人間関係ですから、良い職場で友人を沢山作る事が出来れば、それが一番勉強にもなると思います。
私がパリに在住していた頃にもこういった制度があれば是非利用したかったですね。
―フランスのマルチメディアやインターネットのプロジェクトで興味深いものを教えてください。
K.H.フランスにはインターネットが始まる前から普及していた「ミニテル」というITネットワークがあります。私がフランスにいた頃も、ただでフランス・テレコムが貸与してくれるので自分の家でも良く使っていました。当時としては画期的だったと思いますが、技術的にはまだまだ発展途上で随分と時間がかかったり、誤作動が多かったりといった記憶があります。この話を郵政省出身で今はMITの講師をしている方に話したところ、そうではなくてフランスはミニテルでコンテンツを早い時期から蓄積しているので、インターネットが普及しだしてからもどんどん使い易く、質の高いコンテンツが生まれている、そういう点ではインターネットを使いこなし、生活を豊かにしているという本当の意味での利用率というのはとても高いんですよ、と教えてくれました。 確かに百科事典ですとか美術館情報等はすごく細やかに、また綺麗に出来てますよね。アメリカ等でのインターネットはサイバー上の道路整備という意味で、つまりインフラとしては優れていると思うのですが、それをどう生活に役立てて暮らしを豊かにするかという事になると、フランスというのは質の高い動きをしているなと思います。
―最後にこれからフランスに行こうとしている人々へのアドバイスを!
K.H.日々の生活の中で閉塞感とか満ち足りない気持ちですとか、これで私の人生は良いのだろうかという思いはきっと多くの人々が感じていらっしゃることと思います。ただ大抵その原因は自分を取り巻く状況に問題がある、自分ではなくて会社や世の中が悪いんだと思いがちです。ずっと日本の中で生まれ育って、自分もそう思っていた時期がありました。それで働いていた組織から離れてみましたが、フリーランスになればなったで、今度は日本株式会社に縛られている自分がいて、ストレスは軽くなるどころかどんどん澱のように溜まりに溜まって行く。ついにもう限界という状況になってフランスに渡ったわけです。で、そこで自分を縛っていた様々な既成の価値観から魂が自由になって行くに従って、どこの世の中にも不条理なことは色々とあるけれど、自分自身がどんなに忙しくても、また貧しくても、自分の心さえ開放系になっていれば、この世に存在する素晴らしい物・素敵な事が沢山感じられて人生はとってもハッピーになると思うんです。ハッピーじゃないと感じる人って、多分ハッピーに感じられるような自分じゃない、魂が硬直してしまった状態なんだと思います。やはりパリ、そしてフランスというのは、私にとって幸福であることを感じられるような自分自身を取り戻させてくれる特別な存在なので、もし自分の人生に何だか満ち足りないなぁと感じている方は、是非フランスに行かれることをお薦めします。