早稲田文化 原稿

 経済界ならずとも、最近やけに早稲田の肩身が狭い。現にわが職場である国会でも、橋本龍太郎前総理、小沢一郎自由党党首を皮切りに、慶応大学出身議員が若い世代を中心としてかなり幅を利かせているし、何かのご縁で結婚式に呼ばれても、望むと望まざるとにかかわらず「若き血」の大合唱を聞かされる機会がやたらと多い。ふとわが身を振り返れば、政策秘書が慶応出身でうーんと思っていたら、なんとよりにもよってわが夫(衆議院議員・船田 元)まで慶応出身者を選んでしまった。

 そこで率直に感じるのだが、とにかく慶応は面倒見が良い。夫の生活を間近に見ていると、慶応関係の会合は季節を問わず頻繁に行われているし、会報誌の類も毎月何冊と送られてくる。パーティなどでも、なぜか皆さん自然と固まって行動し、声もまめに掛け合い、塾生同士としての結束の確認をいかなる時も怠らない。

 群れない、他人の領域にはむやみに立ち入らない、相手の自己を最大限に尊重する早稲田人としては、その面倒見のあまりの良さが、なんともこそばゆくて、他人事ながらなんだかとっても負担に思えてきてしまう。

 思い起こせば、入学当時、単位の選択でも教科書の購入でも、事務局からはほとんど告知と言う告知が無く、同級生と戦々恐々としながら情報を集め交換し、期せずして固い友情を育んだあの頃。4年生を迎え就職部を訪れても、女子学生にはきわめてクールな応対に、学友ともども「絶対に(就職試験に)受かって見返してやる」と廊下で捨て台詞を吐き、その悔しさを大きなバネにNHK就職を決めたあの頃。

 「ちょっとつれな過ぎるんじゃない早稲田って」と思っていたあの当時、想像だにしなかった「早稲田魂」の深遠な意味に、やっと最近そこはかとなくではあるが気づき始めたかなという気がする。

 そう言えば、日本の政治のトップを占める小渕恵三総理も、森喜朗自民党幹事長も早稲田出身。なのに永田町で早稲田の肩身が広いといった感がしないところが、底力を秘めた早稲田の奥ゆかしさなのかもしれない。