勉強会 vol. 8(平成10年6月23日)

テーマ

情報化時代を生き抜く・日本、米国そして世界

講師

(株)デジタルガレージ代表取締役社長 伊藤穣一 先生

伊藤

 今日は、多少難しい話も説明しなければならないが、 なるべく皆さんに関係あるようなところだけを中心に話したいと思う。

情報化社会への進化

 比較的技術的なところから、 今の情報化社会への変化のポイントをきっちり説明したい。

 まず、インターネットと言われる通信の方法の歴史を振り返る。 1960年代の前半にロシアとアメリカが核戦争のシミュレーションをしていた。 ランド・コーポレーションを中心にシンクタンクで、核戦争では、 実際どういうことが起きるのか、勉強会を行い、レポートも書いていた。 その中に62年にポール・バロンという人が書いたパケット通信網の論文がある。 我々は、これが一つの革命だったのではないかと思っている。

 昔の通信網というのは、例えば真ん中に大統領がいて、 その大統領が専用回線でコンピュータとつながっており、 計算センターでいろいろな作戦の準備をして、 そこからミサイルに回線がつながっていた。こういう構造の場合、 どこか1つでも倒れてしまうと、すべてのネットワークが使えなくなってしまうので、 これでは核戦争など戦えない。

 そこで、分散を考えた。真ん中にコンピュータを置くのではなく、 分散してあちこちにコンピュータを置くと、ターゲットが広がる。 また、回線1本だけだと、通信網が危険なので、回線も網のようにつないだ。 こうしてパケット通信網という発想が出てきた。 パケット通信網は、情報を小包みにして送っていると例えられる。 しかし、直接目的のコンピュータに届くわけではなく、 「多分、あっちの方向だろう」という見当で、 次のコンピュータにポンと小包を投げる。受けたコンピュータは「じゃ、次、 一番近いコンピュータはあっちだろう」といった具合に、 伝言ゲームのように行き先のコンピュータに伝わっていく。

 このパケット通信網の一番重要なポイントは、途中で、 あるはずの回線やコンピュータがなかったら、小包は折り返して、 違うルートを通っていくということである。東京駅から新宿駅への行き方が、 いろいろあるのと同じに、「どこかがつながっていれば、 目的地にたどり着くことができる」というのが、これまでと大きく違う。 このことは、インターネットを使ったビジネスにも大きな影響を与えている。

 これをうまく運営するために、次は何が必要かというと、中央での交通整理である。 しかし、その中央を破壊してしまえば、全部動かなくなってしまうので、 それぞれの町や、コンピュータは独立しなければならない。そうすると、 自分のところに小包が届くと、次はどの方向に投げればいいか、自分で判断して、 全く中央のリーダーシップがない状態で、 それぞれの町が相互接続していくことになる。

 例えばKDDが国際電話サービスを提供したいときには、 それぞれの国ごとに課金の契約を結び、それぞれの国に回線を引いて、 初めて世界と相互接続できる。しかし、インターネットは、自分が一番近い町、 1個でも2個でもいいが、 それとつなげて「私はここにいます」という情報をネットワークに流す。 電話事業者と比べて大きな違いは、 誰とも契約せずに世界中の誰とでも双方向の通信ができてしまうということである。

 インターネット以前は、 メーカーや機種が異なるコンピュータは一切交流できなかった。 それまでのネットワークは電話事業者だったり、 コンピュータ会社がつくっていたので、 他の人達がつながらないようなネットワークばかり設計していたが、 このときは技術者や研究員が“国の予算”というお金を持っていたので、 つなげることができたのである。

 そして、つなげる方法も、みんなに公開した。今、TCP/IPという方式を使えば、 いろいろなコンピュータでお互いに話しができる。こうした成果は、 全てこの研究のネットワークで上がっていたが、1990年ごろになれば、 民間でもプロトコールをタダで配るようになっていた。91年には、 民間のインターネットを使っているコンピュータと学術のネットワークがほぼ同じぐらいになり、 そこでやっと相互接続し、すべてのTCP/IPを使っているコンピュータは、 お互いに通信できるようになった。これがインターネットの誕生である。

 ただ、「中央に誰も管理する人がいない」と言っても、多少管理はされている。 電話番号みたいな番号の割り振りやドメイン名という名前は割り振りしており、 唯一、そこがうまくいっていないところである。 基本的に中央管理をしないというのが、インターネットである。 アメリカは、中央管理できないものはつくらないが、 核戦争の危機を契機にインターネットが考えられたのである。

ボーダレスの利点

 ボーダーレス企業というのは、グローバル・カンパニーのIBMなどであるが、 国にはボーダーがある。企業にとって“ボーダー”がなくなってしまうと、 たいへん有利なことができる可能性がある。 例えば、ビザカードはマスターカードが始まったころ、 一箇所に危機が集まってしまって、倒産しそうになっていた。 そこで、真ん中で管理するのではなくて、分散したほうがいいのではないかと考えた。 その頃、最初の通信網ができたばかりだったが、ビザには、 「電子決済が回線でできるのではないか」という革命的な発想を持っていた人がいた。 そして、それぞれの銀行が自分の危機を管理して、 銀行とビザがそれぞれ契約を結んだ。そうして、 ビザという国際組織はできあがっていったが、どの国にも所属しない、 完全にボーダーレスな団体となった。なぜ、ビザがこんなに伸びたかというと、 規制に従う必要がなかったからである。 初期のビザカードとは、ボーダーレスの利点を本当にうまく使って拡大した。 これからは、このような企業がインターネットの分野に進出して、 それぞれの国の法律を上手に使って成長する。IBMのように大きくなってしまうと、 それぞれの国に規制されてしまうが、 小さいうちはどんどん広がっていくことができる。

国境を超える法律の必要性

 そこで、必要となるのが国境を超える法律である。例えば、 トンガはパテントのコピーライトと著作権の法律が全くない国である。 ソフトやコピーライトに関する日本の法律を破っても、 法律違反に問われる心配は全くない。 例えば“ナイキ”という会社がトンガで設立されて、 ナイキ製品の偽物を売ることも可能である。物理的な流通で、 成田や横浜で止めることはできるが、インターネットでは止められないのである。

 また、アングリラという国では、会社は匿名の役員と株主を持っていて、 税金はゼロである。世界中に、そのような国は案外いくつも存在する。 そういう国には、企業でも何でも勝手に設立できるのである。そうすると、 日本での法律違反者は、いくらでも逃げる場所があるということになる。 法律違反者をよそ国にまで追いかけていくことは、できないからである。 国境を超えた法律というのは、なるべくみんなに守ってもらうための、 それぞれの人間関係の決まりごとみたいなものでしかないからだ。

 今の日本にいると、例えば警察が守ってくれたり、道路が存在したり、 目に見える物理的環境があるので、誰もが日本の規制や法律に従って動くが、 インターネットだと、物理的に何かに囲まれているわけではないので、 みんなが“守ろう”と思うルールしか守られない。 そういう意味では、法律の考え方が変わってくるのではないだろうか。

“情報に関する情報”こそが重要

 プレグリー・ベートソンという哲学者は、「違いをつくる違いが“情報”である」 と言っている。つまり、今までのことと違って、 初めて新しい情報ができるということである。情報そのものは、例えば歌だとか、 著作権がつくようなものである。歌や本は、“物”のような情報である。 情報は箱に入れたり、本に収めたり、CDに収録して、 物のように流通させることができる。だからCD、テレビ、新聞というのは、 情報産業である。本は情報産業といっても、どちらかというと製造業に似ている。 ところが、“情報に関する情報”というのもある。 これはピーター・ドラッカーという経済学者がよく言うknowledge industryであるが、 例えば、本そのものよりも、「本はどこに行けば見られるか」が大切なのである。

 株や企業についての情報、また、その株の情報についての情報、 そういう情報についての情報と、だんだん抽象的になってくるが、 “情報についての情報”の極致には知恵や感覚といった、 なかなか形にならないような情報もある。“情報に関する情報”は、 すごいスピードで動いていて、コンテキストという言葉があるが、タイミングとか、 誰が見るかによって全く価値が違う。 例えば、株価の情報が幾らの価値があるかというと、その株を持っているか、 いつ見るかで全然価値が変わってしまう。このように価値が変動するような情報が、 これからの情報産業の中で鍵になってくるだろう。

 だから、今までの日経新聞を全部倉庫に積んで、 いつでも読めるというのが日経新聞の情報の価値ではない。 明日の日経新聞の情報が一番早く自分に届くというのが価値である。 自分と日経新聞の記者との関係性が日経新聞の価値であって、 日経新聞の今までのデータベースよりも大切なのである。

 ニュースも同じだが、株情報などNASDAQの情報は、15分経過すると、 インターネットでタダで配っている。 ただ、“今現在”の株の価格の情報は有料である。つまり、動いている情報、 生きている情報に価値がある。しかも、その生きている情報というのは、 あまり大きなボリュームは必要ない。例えば光ディスクに入れる必要はなくて、 「つながっていて、生きていて、レスポンスが速いこと」が重要なのである。 こういったものに、インターネットは向いている。出版社とか、映画関係者から、 「インターネットでは、こんなことできないでしょう」と言われることがあるが、 私も彼らと同様、 ワールドカップや朝日新聞の一面や映画をインターネットでやるべきではないと思っている。 インターネットのよさは、世界中の人をそれぞれ自分の関係するところと安く、 スピーディーに相互接続できるということである。 インターネットに一番向いている事業は、こういう情報に関するやりとりである。 しかし現在、CD1000枚は、 インターネットで送るよりも宅急便で送った方が安いのだから、 使い方を間違えてはならない。

 新しいメディアが出てきたときには、最初は、必ず前のメディアのマネをする。 最初のテレビ番組は、アナウンサーがマイクを持ってしゃべる動画つきラジオだった。 同じくインターネットは電子出版とか、インターネット放送局とか、 そういう発想でビジネスを立ち上げているが、 本当は“情報に関する情報”を扱うような事業が向いているのである。

仲介業者の利権破壊

 インターネットの技術的な特徴を言うと、 まずそれぞれの技術層で強制的な価格破壊が起き、 基本的に情報の流通がとても安くなる。 今までだと、例えばCDを使ってアーティストからお客様に音楽を伝えるには、 99%の人は、まず「CDを出すまでのアーティストではない」ということで足を切られる。 上位数%のアーティストに入っても、弁護士だとか、流通だとか、パッケージだとか、 ほとんどそういうところにお金がかかっている。 しかし、この間のコストがゼロに近いぐらいになってしまうと、 全然違ったビジネス・モデルになる。

 今までは流通のコストが高すぎて、流通がコンテンツとユーザーを仕切っており、 「ここを通るためには○○円払え」と言われたときには、 必ず支払わなければならなかった。インターネットの場合、どこか道を走っていて、 「払わないとここを通らせないぞ」と言う人がいると、 「じゃ、このネットワークは壊れているから、違うルートを行きましょう」と、 勝手に違うルートを行ってしまう。高すぎたり、重すぎたり、遅すぎると、 すぐに違うルートができてしまうのである。

 いまウォールストリートで、disintermediation という言葉がはやっている。 intermediation というのは“仲介”という意味だが、 仲介業者の利権破壊を disintermediation と言う。 今、自宅にいながら私は銀行の口座のやりとりができるが、 これによって銀行の支店が disintermediate されている。

 現在、仲介業者の利権の破壊は、盛んに行われていて、 「どういう仲介業者の利権を破壊できるか」というのが、 インターネットでビジネスをやろうとしている人達の基本的ビジネス・モデルである。 日本では、これはなかなか進まないが、 これもまたルー・ガースナーの言葉を借りると、 「自分の子供を食べるぐらいの覚悟がないと、 インターネットでは生き残れない」という激しい競争が起こるのである。

インターネットで成功する事業とは

 では、どのような事業がインターネットでうまくいくかというと、 まず「商品ではなくて、サービスを売る」ような事業である。 例えば、シグナスサポートという企業はソフトウェアを開発しているが、 ソフトを全てタダで配っている。そのタダで配っているソフトに対して、 サポートのサービスやコンサルティングで、 弁護士と同じように時給でお金をもらうのである。 自分たちがつくったソフトは商品ではなくて、自分の宣伝であると考えている。 このような事業は、インターネットに向いている。インターネット上だと、 ソフトはコピー防犯できないし、みんなどんどん勝手に動いてしまう。 その代わり、サポートはたいへん楽なので、 それをサービス・ビジネスとしてやっていくのは比較的たやすいだろう。

 また、例えば、ミュージシャンがCDを発売したいと考えたとき、 いろいろな仲介業者がかかわってきて、お金がかかる。 そのお金が「無駄だ」と考えるアーティストもいるかもしれない。 しかし、必ずしもレコード会社がいらないかというと、そういうわけではない。 アーティストがレコードを出したいときには、 やっぱりレコード・プロデューサーは欲しいし、デザイナーも欲しいし、 スタジオも必要である。お客さんとしても、どのレコードがいいか知りたい。

 ただ、こういう形態を取れない業界は、disintermediation が過度に進んで、 よく見ていると質が落ちてくる。例えば証券会社の営業がいなくなって、 お客が直接買うようになってくると、買う側はあまり頭がいい買い方をしないとか、 広告代理店がなくなってくると企画がつまらなくなってくる。 こういう現象もあるので、お客さんは、なるべく早くサービスの価値を見極めて、 価値あるサービスに対してはきちっとお金を払い、 不必要な仲介業者にはどいてもらうべきである。

 事例を出すと、今、インターネットでうまくいっているバーチャル・ビニアードに、 私のお気に入りのワイン屋があり、カリフォルニアワインを売っている。 そのワイン屋のページにはいろいろ書いてあり、 それを読んで、「これがおいしそうだから、欲しい」というと、それが買える。 そして、3日後に届いて飲める。飲んだら、 またメールを出して、「おいしかったよ、ポール」と言うと、 ポールが、「伊藤さんが『おいしかった』と言っているし、 みんなで飲みましょう」となる。

 これがすごく面白いのは、 流通とメディアと地域をうまくリンクしているということだ。街角にお店をつくって、 カリフォルニアワインを全部ストックしても、絶対ペイしない。ウェブ上に、 世界中のカリフォルニアワイン好きの人達が集まって、そこでディスカッションする。 ワインの雑誌だけ読んでいても物足りないし、ワイン屋に行っても、 どのワインが何だかわからないとあまり意味がない。 地域性を世界中に売るというケースとしては、 こういったバーチャル・ビニアードはたいへん興味深い。

 さて、もう一つの成功例として、アマゾン・コムを挙げておく。アマゾン・コムは、 1995年7月に設立された会社で、 1997年5月に株を公開した世界で一番大きい本屋である。 現在、株のバリューの総額は25億ドル以上(1998,6初旬)の会社である。 インターネットで本を売っており、1ヵ所で全部集中管理して、在庫もお店も何もない。 そのため、コストは安く、わずか2年という短期間でここまで伸びているのである。 アマゾン・コムができたことによって、 アメリカ中に店舗があるバーンズ・ノーブルという大手の本屋は、 店舗の売り上げが下がると知っていても、インターネットに参入してきた。 これこそがルー・ガースナーが言う「子供を食べてしまえ」という言葉になるわけである。 自分の子供が死んでしまってもいいから、 インターネットでアマゾン・コムと競争しなければならない。 「こんな会社がたった2年でできてしまうのが、インターネットなんだ」 と認識したわけである。

 また、インターネットを利用したホームバンキングでは、 アメリカの銀行への送金だとか、残高照会ができる。日本の銀行より便利だから、 ビッグバンとともに、海外で資金移動して、海外で株をやって、 海外にお金を貯めようと考える人は、増えるはずである。

 例えば、 ウェルズ・ファーゴというクレジットカードの決済をやってくれる企業がある。 この間、ある日本の企業に「日本でオンライン・ショッピングをやりたいけど、 幾ら?」と訊いたら、「7%だ」と言われた。そして、いろいろなところ訊いても、 軒並み7%で出してきたので、話にならないと思い、 ウェルズ・ファーゴに行ったら、「うちは、2%でやってあげる。 しかも、為替のリスクはうちが取って1%にしてあげるから、 トータルで3%でどうだ」ということでまとまった。 そうすると、“なぜ、日本で7%でやらなければならないんだ”ということになる。

コストパフォーマンスの大切さ

 なぜ、みんなインターネット・バンキングとか、アマゾン・コムをやっているのか。 銀行の店舗での数字だが、一決済は平均1.7ドルであり、現在、240円くらいである。 インターネット上では、1セントであり、 日本の100分の1くらいの価格で一決済を行っているのである。

 日本の企業は、広報室が「そろそろうちもオンライン・バンキングやりましょうか」 というような寝ぼけたノリでいると思うが、 アメリカは「やらないと殺される」という認識でやっている。 ここが大きな違いだが、日本は、 まだコストのことを考えないでインターネットをやっているところが多い。 しかし、ぜい肉の落ちたコストストラクチャーを持っている競争が、 金融ビッグバンによって日本に入ってくる。リストラのレベルをはるかに超え、 完全に組織とやり方を変えて、参入してくるのである。

よくビジネス・インフォメーションという言葉を使っているが、 これは最近のアメリカのトレンドである。今までは手作業でやって、 例えば一期締めて、決算して、役員会でどうしようか、 ああしようかという話をしていた。 現在、アメリカでは全部リアルタイム・データになっており、 メーンフレームが復活している。なぜかというと、リアルタイムに自分の現金とか、 在庫とか、全部入れているからである。リアルタイムで、キャッシュベースとか、 自分のファイナンシャルを把握して、毎日決算をやっているのである。

 決算して、今度はそれを分析すると、 業界における自分の基準がどのぐらいかわかる。例えば流通業界だと、 一出荷幾らという競合の数字を全部コンサルタントが持っている。 業界の基準と自分の基準を毎日のように比べながら、 トップが作戦を練って動いているのである。 つまり、イントラネット、インターネットによって、 トップが判断できる材料をつくっているのである。だから、 紙で税務申告しているような感覚ではない。 今でも業界によっては、実行が伴ってないところもあるだろうが、 例えば、特に流通などは、非常に高いレベルまで行っている。

「便利」≠「豊かな生活」

 インターネットを使うことによって、どんどん便利になってくる。我々技術者は、 必ず「もっと、もっと便利に」と考えるが、これはとても危険なことである。 もう亡くなられたが、 ある世界的な自然科学の学者にインターネットについて説明すると、 たいへん怒っておられた。彼は「コンピュータは、 バカなやつも頭いいことができるためにあるもので、 俺なんかコンピュータはいらん」と言う。 ただ、彼は、「伊藤君、なんで便利にしなきゃいけないんだ? 便利にする、速くする意味は何なんだ?変動が激しくなるだけであって、 いずれ爆発してしまうのではないか」とも言っておられた。

 よく考えてみると、経済を便利にする理由は何だろうか。 便利にするだけでは安定性は求められない。ここがが重要なポイントだが、 どんどん速くなって複雑になっている中で、 誰もコントロールできない経済が生まれてきていると思う。 インターネットで最近わかってきたことは、コントロールできないものでも、 維持することはできるということである。

コア・コンフィデンスに集中せよ

 今までは、頭がいい人が1人で全部権限を持っていたら、それは何とか回った。 この人達がコントロールしきれないくらい複雑になってしまったときに (今のインターネットと同じ状況だが)、多様性だとか、効率が悪いとか、 壊れているとか、みんなが違うことを勝手にやっているとか、 これまではマイナスだったことが、 実は安定性につながっているということがわかってきた。 日本がこれからインターネットに入っていくときに、権威に従って、 みんなが同じことをするという日本人的なやり方ではなくて、みんな勝手にやって、 あまり権威の言うことを聞かないで、 自分で考えるということが経済の安定性につながるのではないかと思う。 個人も同じであって、 よくアメリカではコア・コンフィデンスという言葉を使っているが、 「自分しかできないものは何か、早く悟って、それに集中しなさい」と言われている。

 インターネットでは、誰かが何かソフトを書いたときには、 すぐコピーされてしまう。そうすると、1人が書けばいいということになる。 1万人が同じソフトを書いても全く意味がない。 ただ、製造業だと、1万人が同じ“作り方”を覚えたら、 それは工場では1万倍のパワーとなる。 だから、1万人に同じことを教えるという意味は大きかった。 しかし、情報社会ではみんなが違うことを知っていることが重要で、総合すると、 それが何倍の価値があるということになる。

 日本の受験だと、みんな同じことを一所懸命勉強して、 カンニングはしてはいけない。ただ、 私は、インターネットではカンニングが一番うまい人が勝つのではないかと思う。 その質問に対して、誰に聞けばいいかだけ知っていればよいのである。自分か、 もしくは自分の地域にしかないものを見つけて、 それをインターネット上にアピールして、その貢献によって、 みんなから恩返ししてもらう。

 また、インターネットの世界では、みんなで同じ方向に行ってしまうと、 かえって不安定になるので、どちらかというとインフラを維持する人達と、 リスクを背負って自分で勝手に走る人達が共存することによって、うまく回ると思う。 だから、法律を守らせようとする国家や、 悪いヤツを捕まえてくれるお巡りさんがいて、初めて情報産業がうまくいくのである。

国家的セキュリティと危機管理

 そこで国家について、セキュリティと危機管理は本当にどの国も足りないが、 特に日本は足りない。今までだと、自分の家のドアを開けると外を歩いているのは、 ほとんどが日本人であり、治安のことは心配しなくてもよかった。 しかし、コンピュータをインターネットに接続していれば、 “世界中の5000万人の人達に自分のコンピュータが見られている” と認識すべきである。コンピュータをインターネットに接続した途端、 グローバルスタンダードの治安の悪さに対応しなければならない。 その危険性を理解した上で、インターネットに接続しなければならない。

国家というサービス業

 「なぜ、60%も税金を払って日本にいるか」というと、人はいいし、 ご飯はおいしいし、お酒はおいしいし、道は整備されていて、 お巡りさんもいるからである。では、アメリカは幾らで何をしてくれるのか。 これからの時代は、「資産はここに置く」、「子供はここで育てる」、 「日本はたまに来よう」といった具合に、 それぞれの国家のサービスをうまく利用する時代である。

 そういう意味で、国を維持してためには、 日本にどうやって情報産業を持ってくるか、 どうやって中国に行かないようにするか等、 サービス業のように考えなければならない。幾らの税金で、良いインフラをつくるか、 安全が保障されるか、法律が整備された国をつくるかによって、 企業や投資家が来るかどうか決まる。 今あるものを規制して抱え込むというやり方ではなくて、 海外の人に魅力をアピールするような国をつくらなければ、 日本に残るのは海外に出ていけなかった日本人だけになってしまうだろう。

 そうするためには、行政や法律を変えていかなければならない。 しかし、お互いを信用するとか、文化の深さとか、アメリカにはない、 いろいろな日本人の良さがある。そこで、 私は物理的な世界を超えたバーチャル日本をつくるとよいのではないかと考えている。

 フランスは、通産省ではなく、文化省がインターネットの推進を管理している。 フランス人は、 まずインターネットが自国の文化にどう影響を与えるかということを考えて、 それからインターネットを導入するかどうか決めようとしているのである。 フランス人は、 インターネットによってアメリカの文化が雪崩れのようにフランスに入ってきてしまうのではないかと心配していたようだ。 しかし、逆にフランス人性を世界中に出してしまえばいいのではないか。 それは日本でも同じだが、日本を守るというよりも、世界中に“日本”を流通させて、 バーチャルに「日本人性」を持つこともできるのではないだろうか。

最後に

 こうして話していると、私が津波を起こしているように勘違いする方がいるが、 それはちょっと訂正したい。 私は、「津波が来るから、みんなでその準備をしよう」と言っているのである。 私はインターネットの影響をいいことばかりだとは思っていない。 原子力と同じように悪い影響も、いい影響もあるので、いかに悪い影響を防いで、 いい影響から利益を得るか考えるべきだと思う。
 インターネットによる波、それは決していいことだけではないが、 世界で起きている波なのである。世界の経済から日本だけ離れるということは、 あり得ないので、勉強した上で参加していかないと、日本は溺れ死んでしまうだろう。

(拍手)


 伊藤穣一さんはいつも本質を的確につくお話をしてくださいます。 また、お話を聞く度に、本当に日本のことを憂えて、愛している方だと痛感します。
 今日は、ボーダーレス、それからスピードの話が出ましたし、 今までのような仲介業者的な組織構造ではダメだというお話もありました。 多分、今の日本の政治のあり方についても、 かなり根本から見直す必要があると考えてらっしゃるのではないでしょうか。

 日本の政治を見て、ジョイ(伊藤穣一氏の愛称)の率直な感想を伺いたいのですが。

伊藤

 “政治”については、僕はあまりよくわかりません。 ただ、日頃僕が一番付き合いがある学生とか社員で、 命令に従うきちっとした青年たちはたくさんいるんですよね。 大きな会社や、行政や、それこそ警察にはそういう人たちがたくさん必要ですが、 例えば我社みたいなところで、みんなが僕の命令に従っていては、 全く仕事になりません。「まず、みんなで勝手にやって、 失敗したら報告してくれ」という感じです。
 日本の政治の世界には、 “出る釘は打たれる”という日本人的なところがあるようです。 では、「政治を直す前に教育を変えなければならないのか」とも思いますが、 気の長い話になってしまいますし、専門分野でもないので、答えは持っていません。 逆に聞きたいのですが、政治をやっている方たち、 本人たちは変わると思っているのですか(笑)。


 変わると思ってやっている人間達も自分を含め、確かに相当いるのですが、 どこか“見果てぬ夢”みたいな感じがあるのは否めないですね。
 先程ディス・インターメディエーションの話をされたとき、 「仲介業者の利権の構造が破壊されるので、 コンテンツさえいいものをつくれば評価される」とおっしゃってました。 政治で言えば、政治家を評価する一番大事な指標は、政策です。 ところが、今の政治家には政策を立案するために十分な時間、スタッフ、 いずれもありません。結婚式やお葬式に出て、 地元や支持団体からの陳情を処理するというような、 まさしく仲介業的な業務に忙殺されて、 一番大事なコンテンツの部分が疎かになっているのが正直なところではないでしょうか。

 ところが、インターネットを自分で使うようになると、 そこでは仲介業が一切ないわけですから、直接有権者が私のコンテンツ、 政策を見るわけです。本当に世界中の人が見てくれるわけですよね。

 ジョイに協力してもらって、 昨年つくりました「情報通信政策に関する緊急提言」というもの、 これは英語でも出しています。訴求力はというと、 日本の中のマスコミみたいにウワッと飛びつくようなことはありませんが、 ジワジワ広がっていくようです。そして、ちゃんとしたものをつくれば、 ちゃんとした人が反応して、どんどんコミュニケーションの輪が広がっていきます。 恐らく今までの政治の世界では、 こういうことで有権者に理解してもらうということはできなかったのではないでしょうか。

 でも、今まだ日本ではインターネットを使っている人はごく限られていますし、 それは通信費の収益の問題をはじめ、私どもの力が至らないところがあります。ただ、 本当に損得分岐点みたいなところを超えて、インターネットが広がったときには、 ある意味で政治も政策が重視されて、 政策によって政治家や政党が選択されるようになる可能性はあると思います。 私は機械に強いわけではないし、技術もあまりわかりませんが、 なぜ情報通信政策をライフワークにしてやっているかというと、 これこそが日本の考え方を変えていくきっかけではないかと思ったからです。

 「緊急提言」のメンバーだった原島先生が、 インタビューをしたときにおっしゃっていたんですが、 「本当にスピードがどんどんアップしていって、いわゆる便利になって、 人間は幸せになるの?スピードアップされて、 結局、不幸になっていく部分ってあるんじゃない?」という話をされました。 この点については、いかがですか?

伊藤

 そのエリアに関して、ノーベル賞学者の福井先生はかなり深くて、 彼はノーベル賞を取ることも、 渡すことも、「もしかしたら間違っているのではないか」と言っています。 彼は「科学の研究というのは、“経済にどう貢献しているか” というところで判断されているが、“経済に貢献しているから優れている” というのは、よくない」と考えていらしたようです。経済は利益を出すため、 利益とは便利だったり、競争原理だったり、いろいろな要素がありますが、 社会のため、文化のため、自然のためにとかいうのは、 あまり経済モデルには入っていません。
 例えば日本は戦後、フルパワーで経済を伸ばさなければならなかったし、 技術を伸ばさなければなりませんでした。ただ、適当なところでブレーキをかけたり、 軌道修正をしなければならない時期に、ブレーキもなければ、 シートベルトもなければ、運転手は酔っ払って寝ているような状況に陥っていました。 特に日本は、途中でスクラップ・アンド・ビルドしない傾向があります。 これまでは、60年サイクルで大きな維新が起きていました。 ハイスピードで走るトラックが運転手なしで動いているような気がします。

 ただ、「誰かが上で管理してくれているだろう」と思って、危機とか、 借金を自分のところで処理せずにどんどん上に回していったら、 上には誰もいなかったということが、いろいろな組織で起きていると思います。 危機を分散して、危機管理するためには自己責任と自己管理が必要だと思います。 直接インターネットと関係ない話ですが、 不動産のバブルの崩壊を分析した弁護士さんと話すと、 事態に悪影響を与えたのは日本の“雛形”という方式だそうです。アメリカでは、 弁護士は、まず自分の頭で考えます。雛形を使う場合ももちろんありますが、 傾向としは自分で契約書を考えます。そうすると、 それぞれの契約書が少しずつ違うんです。何か事件が起きたときには、 間違った契約書が全部そこで落ちますが、日本だと、1個雛形が間違っていたり、 危機管理ができていないと、 極端に言うと日本中の契約書が全部横並びで倒れてしまいます。 弁護士の彼は「自分で考えて理解した契約書しか書くな」と言います。 雛形を使うという方法は、自分で考えて契約書を書くより一見安全そうに見えても、 実は危機管理になっていないのではないでしょうか。


 自己決定したら、必ず自己責任がついて回ります。 だから、多くの日本人は自己決定したがらないんですよね。
 例えば永田町でも、個々にはみんないろいろな考えがあるわけです。 ところが、足して2で割ったり、3で割ったりせず、一人で走れば、 その一挙手一投足には自己責任がついて回ります。 そうすると、かなり力のある政治家本人が「やりたい」と思っても、 周りで支えている人達にも責任が及ぶから、「殿、やめてください」 ということになり、政治家本人も即座に意思決定できず、周りを見ながら、 決定が遅れます。本当に自己決定ができれば、その場で決済できるはずです。

 実際は悲しいですが、各政策の本質的な決定を政治家が行っているかと言えば、 首をひねりたくなるのが実態です。今日は官僚の方もいらっしゃいますが、 ただ官僚の方々になると、どんなに優秀であろうとも、個人勝負はできません。 政治家はまだ「自分で腹を切るから」ということで、「俺が決めたんだ」と言えば、 あるいは、やる気さえあれば自己決定できる立場にあります。 官僚の方々というのは誰しも一つの組織の一部ですから、「何かあったら、 自分が打ち首になればおしまい」というわけにはいきません。 だから、やはり思い切った決断は、 政治家がその政治生命を賭して行わなければならないと思うのです。

 ただ、そのように政治家が腹をくくっても、日本では大きな限界があります。 例えば、アメリカの政治のシステムでは、 大統領がいてポリティカル・アポインテッドで、 政治・行政の要に適材適所の人員を配置できます。みんな自己決定できます。 そういう根本的な国の仕組み・システムから是正しないと、 政治不信がどうのこうのと言ったところで、 結局は何も変わらないのではないでしょうか。

伊藤

 政治家だけではなくて、日本人全体の傾向として、リスクを負いません。 言われたとおりやれば、 自分で何にも責任を取らないでもちゃんとやっていけるのです。でも、 それはすごく豊かな環境で、できればそういう生活をみんながしたいと思うのです。
 今の日本では、ベンチャー企業でさえ、失敗しなくて済みます。 例えば、大企業から子会社をつくって、 危なくなったらまた引き揚げるというようなベンチャーをつくっていれば、 失敗しても誰も本当の被害を受けません。ただ、そういうことをやっていると、 なかなか独創的な発想や個性が生まれてきません。

 ベンチャーはイチかバチかで当たると大儲けするけれども、99.9%は敗北者です。 食べ物も買えないかもしれません。しかし、日本人が「ベンチャー」と言うとき、 「食っていけないほどはなりたくないけど、何か面白いことをしたい」 と考えています。この認識は、中途半端です。

 ただ、アメリカでは最悪な生活をしている人も多いので、 “最悪の生活の人たちが生活しやすい国”になっている部分もあります。 保険に入ってなかったり、破産した人でも、また復活できるように認めているのです。 アメリカでは、そういう意味でも危機管理の仕組みができているわけです。

 しかし、アメリカは教育を受けられない人がいたり、無一文の人がいたり、 リスクも多い国です。自己責任、自己管理というのは、 ただ責任を取って切腹すればいいというわけではなく、もっと大変です。 社会として治安も悪くなるし、決して全部がよくなるわけではありません。 ただ、今の日本にはもう少し自己責任の考え方が必要なのではないでしょうか。


 地域らしさであるとか、自分らしさであるとか、コア・コンフィデンスが、 これからのサバイバルの核だというお話がありましたが、 “世界の中で生き残っていける日本人らしさ”というのはあると思いますか?

伊藤

 あると思います。いろいろあると思いますが、一つには「信用」です。 ビジネスにおいて、いくら法律や、契約書があっても、 最初はお互いに信用できなければ、ビジネスは成立しません。
 アメリカでは、お互い信用できないような関係をつくってしまっています。 治安の悪さのコストとか、信用のなさのコストというのは、 結局“社会のコスト”になってきます。現在アメリカの景気はいいし、 いい方向に向いているから、被害として見えてきませんが、「信用」は、 日本が持っているものの中でお金で買えない大切なものの一つです。

 例えば、日本では警察が信用されて当然ですが、 アメリカではコンピュータ犯罪の被害者でも「プライバシーを守ってくれない」 などという理由で警察を信用しません。そのような社会と、 警察を信用している日本社会は、随分違います。日本人は、 よくも悪くも政府を信用したり、警察を信用して、お互いを信用しています。 ただ、そこに甘えてしまうと、危機管理のなさとか、 政策のなさとかにつながってしまうのです。

 アメリカもビジネスのやり方を日本から学ぼうとした時期があり、 名刺交換などはすぐに移行されました。日本のビジネスのやり方には、 すごくいいところもあります。アメリカで取り引きしている会社は、 2年くらいでほとんど人が入れ替わってしまい、一人も同じ人が残っていません。 そういう会社にちゃんとした文化と、生命性が残るかどうかは疑問です。 アメリカの資本主義については、伸びているうちにはパッチワークも重要ですが、 安定したときには、社員を大事にして、会社の文化を育てることが必要です。

 だから、“日本”を否定して捨てるという作業もしてほしくありません。 情報産業はもちろん攻めも必要ですが、安定したら、 また日本らしさがフワッと出てきてくれればいいと思います。


 フランスは、そういうところを本当に戦略的に考えています。 一方でグローバルスタンダード化を推し進め、一方で自分らしさ、 日本らしさを尊重し維持していくというのは、余程の策がない限り、 二律背反することです。それを乗り越えていくには、 やはりきちんとしたビジョンであるとか、 戦略(ストラテジー)がなければならないと思います。
 アメリカは若い国だということがあるの国の将来を考え、政策を立案、 実行していくシステムができあがっています。 やっぱりストラテジックに考えているのでしょう。ほかのヨーロッパの国々も、 システムは違ってもストラテジーを持ってことに当たっていると思うのですが。

伊藤

 例えば『エクセレント・カンパニー』という本の中で、 マイクロソフトとヒューレット・パッカードを比べています。 時間がわかるビル・ゲイツと、 時計をつくったヒューレット・パッカード�アメリカ人にとってエクセレント・カンパニーはどちらかというと、 時計をつくったほうです。構造と仕組みによって、 人が入れ替わってもきちっと回るというのが、結構重要な美学なのです。
 小川和久さんという軍事評論家によると、ミサイルの競技において、 日本はミサイルのエキスパートがいて、バンバン当たるそうです。 でも、その人が風邪を引くと、0点になってしまう。 アメリカは人がいくら入れ替わっても、マニュアルがちゃんとできていますから、 とりあえず当たります。戦争を見ていると、日本はいつもタクティックスがうまくて、 作戦で負けてしまいますが、同じ理屈です。

 だけど、日本に「アメリカみたいになってくれ」と言っているわけではありません。 日本は日本なりの政策の組み方というのがあると思うのです。 少なくとも、完全にマネするというのはよくないと思います。 日本には、指摘されているように政策がありません。 でも、答えは、実は日本の中にあるような気もしなくはないのです。


 さて、今日は本当に“示唆に富む”いうか、正直、 背筋が寒くなるような話をたくさんして頂きましたが、 目下、私が最大の危機感を抱いているのは、 ジョイを先頭に優秀な日本人が海外に出ていってしまうのではないかということです。

伊藤

 いや、まだいます。(笑)


 どんな危機でも、人材がいれば乗り切れると思います。景気の良い時もあれば、 悪い時もあります。今は確かに景気が悪いかもしれませんが、 そういうときほど構造転換のチャンスだと思って、 政治家が頑張らなければならない正念場だと思っております。
 そういう意味では、「出ていかないで、待って」とつなぎ止めるのではなく、 さっきジョイが言ってくれたように、 いかに日本を魅力的にするのかということを考えるべきです。日本を魅力的にすれば、 優秀な人材が出ていかないどころか外から入ってきますから。 やはり、そうした方向に邁進するべきだと思いました。

 今日は、本当にありがとうございました。