フランス年



 こんにちは、参議院議員の畑恵でございます。
 「日本におけるフランス年」の一貫として本日開催されました、このシンポジウムにお招き頂きましたこと、大変光栄に存じますと共に、心から御礼申し上げます。


 実は半月程前、ストラスブールで行われた「欧州評議会議員会議」に出席のためフランスを訪れた際、パリに立ち寄り、昨年の「フランスにおける日本年」のさ中にオープンした「日本文化会館」と、Cite Universitaireにあって改修を終えてまもない「日本館(Maison du Jaopon)をたずねてきました。

 エッフェル塔の間近に位置し、セーヌ河畔に総ガラス張りの翡翠色が一際映える日本文化会館では、館長の磯村尚徳さん(私にとってはNHKニュースキャスターとしての大先輩でらっしゃるわけですが)が御自身で館内を隈なく案内して下さいました。屋上の茶室から、コンピュータ制御で舞台や客席が自由に動かせる大小ホール、そしてハイテクを駆使した図書館に至るまで、実に美しく開放感が有りかつ機能的で、またそこで開催されるイベントも、確か今は「縄文展」を開催中のはずですが実にクオリティが高くて、各国の文化会館がひしめくパリに在って、現在もっとも多くの入場者数を集めているのも尤もなことと感銘を受けました。
 実はこの文化会館が出来上がるまで、バブルの崩壊などにより幾つかの、主に経済的な苦難があった訳ですが、文化支援とフランスという両面からこの会館の完成を見守り、また若干のお手伝いもして参りました自分にとっては、世界各国からの方々を迎えての賑わいは、まさに感慨無量のものでありました。

 さてもう一方の日本館(Maison du Japon)についてですが、こちらはパリの南にCite Universitaireという世界各国の留学生宿舎が集まった一区画がありまして、その中にある日本のドミトリーがMaison du Japonです。私も以前パリに在住しておりました当時、ここでの講演会などに参加し各国の学生や文化人の方々との交流の機会を得ましたが、小渕総理大臣も学生時代にここに泊まられたことがあるそうです。ただそんな日本館もわが国の文化予算の乏しさのあおりを受け老朽化が激しく、私も生まれて初めての国会質問で改修の必要性を文部大臣に訴えたものです。ただその後改修予算もつき、見事今年リニューアルしました。

 実は今日本では、パリのCite Universitaireを参考にした「国際研究交流大学村」をこの会場のすぐ近くに建設する計画が進んでいます。ここお台場は光ファイバーも既に敷設されていますので、マルチメディアを駆使することで日本版Cite Universitaireと言える国際大学村は、世界に向けた日本の情報発信基地として、また産官学連携の拠点として、そしてもちろん国際交流のメッカとして機能することを期待されています。


 さてこれまで、本日のテーマであります日仏関係の「現在」について触れてきましたので、このあたりで「過去」についてもお話したいと思います。


 1992年の秋、丁度今から6年前、私はそれまでのニュースキャスターという職を辞して渡欧し、その後2年半ほどパリに暮らしておりました。EC(現EU)が招聘してくれる研修プログラムに応じたのがそのきっかけで、その時EC本部に提出した論文のテーマが「総合的安全保障としての文化政策の日欧比較」であったこともあり、パリでは専門のビジネススクールで文化政策と文化経営学を、またl'Ecole de Louvreでは美術史を専攻し、また学校を卒業後はフランス文化省で研修生として活動したこともありました。

 もともと30歳台を迎える前に、是非一度自分の国を海の向こうから見てみたい、そして同時に社会的なしがらみから切り離された所でじっくりと自分自身を見詰め直してみたいと願っていた私にとって、そうであるならばその地はフランス以外に存在しませんでした。

 フランスと私との運命的な縁(えにし)、それはやはりアンドレ・マルローとの出会いに始まると思います。

 人民解放戦線に身を投じたマルローの情熱と正義感、「空想美術館」に象徴される芸術に対する深い洞察力と鋭い感性、そして文化大臣として世界に冠たる文化大国フランスを確立したその行動力・実行力―アンドレ・マルローという人ほど、フランスという国のあらゆる特性を具現している人物はいないのではないかと、私は日本人ながら勝手にそう思っております。「人生とはあくなき真理の探究であり、従ってその道のりは常に不可能に対する限りない挑戦の連続である」というマルローの行動主義に突き動かされて、おそらく私はこれまで走り続けてきました。
 例えば、学生時代は合格の可能性などゼロと言えるNHKの就職試験に我が身を省みず挑戦し、千人を超える受験者の中からただ一人アナウンサーとして採用されたり、そんな奇跡に近い幸運を得てせっかく就職したNHKを辞してフリーランサーのキャスターに転身したり、またそのキャスターも辞めて何の将来の当ても無いままフランスに移住したり、帰国後に挑戦した国政選挙では、比例代表候補者の名簿順位で絶対に当選できない位置に置かれながら、奇跡と言われて当選してしまったりと、こんな波乱に富んだリスキーな人生を歩んで来られたのも、また歩んで来ざるを得なかったのも、すべて原点はマルローであり、「人生は飽くなき真理の探求」であるというフランス的な価値観こそが私の人生の羅針盤であったと今更ながらそう思っております。


 さてでは実際にパリに暮らして、フランスでの日々は私に一体何を教えてくれたのでしょうか。

それを一言で申すのはなかなか難しいのですが、要するに「人生にとって本当に大切なものなんて、そんなに沢山はないのだ」ということに尽きるのではないかと思います。

 フランスに暮らし始めた頃、実は私は居心地が悪くて、悪くてたまりませんでした。別に周囲に対して不満があったからでは決してなくて、街の空気から明らかに浮いている自分自身が嫌で嫌でたまらなかったのです。単に自分がパリジェンヌに比べて、外見的にはるかに野暮ったいということではなくて、むしろその野暮ったさの原因が、私の内面にあることを感覚的に感じていたのだと思います。 とにかく、すごく無駄なものを自分が山ほど引きずって歩いているという感じがして、重くて、 うっとうしくていたたまれないのです。心にも贅肉というものがあるということを、初めて知りました。 手始めにハイヒ−ルを脱ぎ、フォ−マルなス−ツ姿をやめ、化粧もほとんどしなくなりました。そんな外見的な変化と共に、私は日本でしこたま貯め込んでしまった「埃」、例えばつまらない見栄や周囲から規定されてしまった価値観を少しずつ振り落として、身軽になって行きました。

 そうして心のシェイプアップができると何が変わるかと言うと、 それまで感じることのできなかった、実に感動的な瞬間に出会えるようになってくるのです。それは決してゼロの数が数えられないくらい多い高額の美術品でもなく、また世界的に有名な指揮者による音楽会でもなくて、たとえば、一時として休むこと無くその形を変えて行く雲の流れであったり、夕暮れ時の雨上がり、 石畳の歩道からフ−ッと沸き上がってくるたまらなく優しい空気だったり、と実に他愛も無いものなのですが、同時にかけがいの無いほど感動的で、このままこの大気の中に溶け込んで消えてしまいたいと思うくらい至福の瞬間なのです。

 感動的なことに感動できる自分であること、幸せであることを本当に幸せと感じられる自分であること、それが人生にとって何より大切とわかってさえいれば、そうした至福の時を邪魔するノイズである物欲や名誉欲なんて自ずと消えてしまうものです。


 ちょっと話が哲学的と言うか、方向が逸れてしまいましたが、そんな心のシェイプアップ、魂の洗練を実現させてくれるのが、フランスという国だと私は思います。でも実はこうした価値観は、日本も古来より同様に持ち合わせていたはずなのですが、どうも第二次大戦後、占領政策の影響も大きかったのか似非(えせ)民主主義がはびこり、せっかくの日本の美学や哲学、価値観が軽んじられたり、ないがしろにされてきてしまったのは大変残念なことです。

 今後世の中は益々情報化、国際化の色彩を強め、グロ−バライゼ−ションは避けて通れぬ大きなトレンドであると思いますが、そうであればこそ、そうした流れの中において埋没してしまうこと無くしっかりと内外に存在感を示して行くことが何より肝要でありましょう。いまこそ日本としてのアイデンティティ・価値観、つまり文化を、フランスを見習って上手に世界に向けて発信して行く時だと確信しております。

 フランスの皆様のご指導をお願いいたしますと共に、会場の皆様にご静聴頂きましたこと、心より御礼申し上げます。


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